高麗山の花と虫

いつ見ても心が和む高麗山。いつまでも大切に残したい高麗山の自然。一人の思い出にせず、記録して多くの人に伝え残したい。私たちに続く子どもたちの贈り物づくりに、あなたも参加しませんか?(間違いがあればご指摘を、則訂正します)
 
2010/11/04 20:06:59|その他
これなんだかわかります?
石器時代の遺跡?
縄文の手紙かな?

秋にはあちこちに
赤い実や青い実
青い実の中にも白い模様が入ったもの
いろいろな実があるけれど
好みが売れて出てきた種がこれなんです

さて私は何の種でしょう?







2010/11/03 22:46:10|その他
最近は珍しくないウシカメムシ

級に寒くなりましたね
忙しさにかまけて虫撮りもできませんでした
神社の境内をしばらく散策
やっと見つけたウシカメムシ
今ではあちこちで見受けられ
珍しくないとのこと

ヤニサシガメの幼虫が
小さな虫に長い口をさしています
カメラを近づけると
獲物を放り出して逃げ出しました

クサギカメムシも見られました







2010/10/16 8:50:44|その他
「紀州の徳川家」なんでしょうか?

いつも見ている境界杭ですが
江戸のものとは思えません
どこの徳川さんなのでしょうか
頭の「紀」は何を示しているんでしょう?
ご存じの方 教えてくださいませんか

高麗山は江戸時代には
徳川家の直轄領であったとか
高麗寺領として拝領したとか
いわれていますが
関係があるのでしょうか

この杭は新しすぎるようなんですが・・・・

大磯町の郷土資料館にお尋ねしたところ以下の回答がありました(2010/10/16)
お尋ねの石杭は、徳川家の所有していた土地の境界を
示す石標と思われます。
かつて、高麗地内には紀州徳川家の別邸がありました。
将軍家茂(いえもち)から茂の字を与えられたという
元紀州藩主の徳川茂承(もちつぐ)が、明治29年に高
麗の坊地・沓形・滝の沢・八俵山などの土地と既存の
家屋を購入しています。さらに、茂承を継いだ頼倫
(よりみち)が同地に土地を買い足し、明治40年頃に
別荘を新築しています。土地を手放した時期は不明で
すが、石標は少なくとも明治29年以後に設置されたも
のであると推測できます。








2010/10/15 22:02:52|その他
いつもの場所に 今年もアキノギンリョウソウ 
いつものところに
いつもの様に咲いています
ナンバンギセル、そして
アキノギンリョウソウ

今年はいつもより多く咲いている
セイタカアワダチソウ

他にツリガネニンジン
ヤマハッカ キツネノマゴ
クサギ ノアヅキ 
オオバクサフジ ヤブツルアズキ
チカラシバ ヌルデ
イタドリ キノコのノウタケ
などを見た







2010/10/15 21:38:29|その他
秋の夜長 次世代への伝言づくり
また夏の暑さが戻った様な一日
ナンバンギセルが見たくて
例の場所に足を運ぶ

途中にはやっと秋が来たかの様な
小さな花の赤や黄色、紫など賑やかです
日溜まりではオンブバッタが
次世代への伝言をしっかりと刻んでいます

ヤマトシジミは飛び疲れたか
じっとしてカメラに収まる

またここにもいました
赤いアタマのホタルガが

エノキにアカボシゴマダラの一令幼虫
背中の黄色いマークはしっかりと付いています

小さな蛾はすばしこくって
名前がわからずじまいです