「伊藤 ゆたか」の日々の生活、考え方、まちの情報などを、随時お送りいたします。伊藤ゆたかは、市民の目線を失わずに、強いものに取り込まれず、是々非々を貫きます。
 
2009/10/12 10:49:40|その他
伊藤ゆたかは、こう考えます。
今世界では、1000万人以上の幼児が5才誕生日を迎える前に、かけがえのないその命をなくしています。

我国では、7000人もの人々が交通戦争の犠牲者となり、また、30000人もの人々が自らの命を自ら絶っています。

世界の実情を見る時、食育や地産地消、子育て支援や地域医療体制を考えます。日本の現状を見る時、経済の活性化や教育改革を考えます。

貧困や飢餓が、一日5万人もの生命を奪っている世界の中で、ダイエットやメタボリック症候群を心配する飽食の国。

大人も子どもも自らの命を絶ち、他者の命をも事もなげに奪う現代社会において、日本人の本来持っていた精神的価値観を、原点に戻って見つめなおすべきです。

損得でない「徳」を、人が一人では生きられないことを、人が支えあって生きることを、私たちの生活の中での寄って立つ原点を見つめなおすべきです。

国は、国民の生命と財産を守るために存在し、地方自治体は、市民の安心・安全な生活を保障するために存在します。

もっとも弱い立場にある人々が守られ、守るために経済の活性化が図られる。そのバランスを保つために、政治が存在します。

国民や市民の命を守ることや、命を粗末にしない社会をつくることが政治の務めで、政治もまた、政治生命という命がけの仕事でなければならないのです。

市民自治の時代を迎えるにあたり、地方自治体はアウトソーシングによってスリム化をするでしょう。パブリックマーケットにより、民間活力の向上も図られるでしょう。

地域内分権の推進もされるでしょう。そんな時、自治社会にふさわしい議会が求められています。

議会も変わらなければならないのです。行政のチェック機能だけでなく、市民や行政との協働が求められ、政策形成能力が求められます。

伊藤ゆたかは命がけで、市民の、市民による、市民のためのまちをつくります。







2018/05/22 18:21:37|その他
湘東橋2
おまけ







2018/05/22 18:19:58|その他
湘東橋
写真







2018/05/22 18:17:54|その他
湘東耕地整理組合
写真







2018/05/22 17:58:03|その他
平塚らしい湘南

先日友人が、「NHKの湘南に関する番組を見て、平塚が湘南平塚なんて言っていることが、恥ずかしくなった。」との発言があった。僕はNHKの番組は見てないが、昔 湘南市構想が有った時に、説明していた事を思い出した。

石原慎太郎の小説 太陽の季節から、加山雄三 その後のサザンなどにより、逗子から茅ヶ崎までの若者を中心にした海岸文化がある。戦後のそれはキラキラと輝いていたと思います。湘南への憧れは、そんな所にあるのだとも思う。僕も、そんな世代でもある。

しかし、湘南の言葉の起こりは、大磯の鴫立沢にある「著盡湘南清絶地」の石碑である。小田原の宗雪が、中国の湖南省にある洞庭湖の南側の風光明媚な場所を偲んで、読んだと言われています。1600年代の話です。

そんな昔の話で、平塚が湘南だなんて、言い張るつもりは毛頭ありません。茅ヶ崎市に、史実があります。

平塚から相模川を渡り小出川の東側に、旧相模川の橋脚が史跡として残っています。そこに石碑が二つあり、一つには相模川のことを湘江とあらわしています。もう一つの石碑は、湘東耕地整理組合の碑で、大正14年に着工して昭和15年に耕地整理が竣工したと記されています。戦前までは湘南の東であった証です。

もう一つ、せんの川と言う川があります。小出川合流の100メートルほど上流に、湘東橋と言う橋があります。20年ほど前に行った時には石の橋でしたが、モダンな橋に生まれ変わっていましたが、プレートが外されているのが無残です。

言いたいことは、どこが湘南で湘南じゃないなんてことではなく、戦後の若者がキラキラと輝いた湘南も、平塚が目指すべき湘南があるのだという事です。キラキラとチャラチャラとは違うことを理解して、平塚らしい湘南を追求して欲しいと思います。村井弦斎の食道楽レシピ。明治の別荘文化。利権の付いてない4キロの海岸線。生かしきれていない財産です!








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