☆ぜんそくとうつとわたし☆

性格的には、ちょー元気がとりえのワタシ♪ …だが、体的には、5才からぜんそくになり、’07年にはうつ病も発症(^_^;)でも、めげずに、出来る範囲で楽しく人生過ごそうゼ!がモットーです\(^o^)/ よろしくネ☆
 
CATEGORY:東日本大震災の事

2017/08/12 20:57:32|東日本大震災の事
自分で見て、感じることの大事さ
今回は東日本大震災の話です。

つい最近、震災を題材としたDVDを借りました。
それを見ていた時のこと。
娘が震災後、私の祖父母のいた宮城県名取市に行った時の話をしてくれました。


震災のあった年のゴールデンウィーク、私たちはいつも通りに祖父母の家に行きました。
(高速道路のおかげで地震の揺れの時の被害のみで、片づけをすれば住める状態だったので)
移動中、名取市の津波の被害のひどい地区を通りました。
その時にはもうがれきも少しずつ撤去されて、私たち夫婦が物資を持ってかけつけた時とは少し風景が変わっていました。

私はまだ娘が小学生だったので、この景色を見てどう感じるかはその時は聞きませんでした。
でも、娘に覚えていてほしいと思っていました。
震災の事。
祖父母が体験した事を。

では、その時実際に娘はどう思っていたのか?
話してくれました。

娘はその時、感じたそうです。
「何もない、恐怖を」

津波はすべてを流してしまいました。
そこにあった生活を、人々を。
それを自分の肌で感じたのだと。
その有り様を見て、震災は本当に恐ろしいものだと。


自分の目で見て、感じるということ。
それはとても大切なことです。
人から見聞きしたことより、ずっと心に残るから。
実感として、残るから。


その時感じた、その思い。
忘れないでいてほしい。
そう、思いました。
次世代を生きる人として。






 






2014/02/28 11:43:43|東日本大震災の事
あれから…
東日本大震災が起きて、壊れた高速が何とか使えるようになって、急いで物資を持ってかけつけた宮城。

最初の光景は今でもよく覚えています。
高速道路が祖父母を守ってくれました。

それから何度か訪れる機会があり、その度に街中を車に乗せてもらいながら見てきました。



まだまだ現地はたくさん大変な事があると思います。

でも、それでも前を向いてがんばっている。

時間が経ってもきちんと事実を忘れない事。
これが私に唯一できる事なのかもしれません。

祖父母が亡くなって、私も引っ越して、今度は簡単には行けない距離になりましたが、まだいとこや叔父さんが元気で暮らしています。

祖父母の使う東北弁が大好きでした。

またいつか、必ず行きます。

あの懐かしい言葉を聞くために。












2011/08/21 22:23:31|東日本大震災の事
今思うこと
震災から4ヶ月経って、一番思うことは、

「人間って、日本人って強いな」

です。


どんな困難にも立ち向かうその姿勢は、本当に素晴らしく、この国に生まれてよかったと心底思います。

「日本人でよかった」

そう誇りに思えます。


人間にとって「誇り」はとても大切なことだと思います。







2011/05/01 6:57:46|東日本大震災の事
忘れてはいけない
震災から二か月半経ちましたが、現地の復興はなかなか進んではいません。

前に見に行った同じ場所は、わずかにがれきの量が減ったくらいです。


ここで消防士の方達がお亡くなりになりました。

最後の最後まで、みんなを守ろうと逃げずに職務を果たした消防士さん達。

素晴らしいと思いますが、生きてもっとご活躍して欲しかったと思ってなりません。


私が唯一出来る事は、生きて彼らの事をなるべく多くの人に伝える事だと思います。


ご冥福を心からお祈り申し上げます。






2011/04/06 22:42:14|東日本大震災の事
はじめて知った浦安の被災
震災以来、とくにニュースを見るようにしていましたが、今日初めて浦安の被害のひどさを目の当たりにしました。

仕方のない事ですが、やはり被害のひどかった所から報道がたくさんなされるので、「液状化現象」という言葉は耳にしていても、まさか同じ首都圏の浦安がここまで大変なダメージを受けたとは考えが及びませんでした。

「東北」だけではなく、「東日本」大震災と言われているのがようやく理解できました。

実は、震災前に、春先にディズニーリゾートに行きたいと考えていました。
復興したら、またあの夢の国に行きたいです。






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