また、夏が終わる。
いや、また夏が終わろうとしている。
何事も終わりの前兆はネガティブにして感慨深いものがある。
僕はまだ、ここに取り残されている。こうして、すべての情報に晒されてここにいる。
もちろん、僕の知りうる全ての情報ということだ。僕の知らない情報など、ぼくにとっては何も意味が無いのだ。雲の上に別の世界があったとしても、誰もそれを確認できなければ「無い」と同じだ。
ギターのネックをはずしながら、僕は頭を巡らせていた。
彼女に会うにはどうすればいいか考えているのだ。
どう表現したらよいだろう。この感情は恋とは違うと思う。
支配されているのだ。脳が支配されている。そんな感覚だ。
このギターは、MOONのカスタムギター(ストラトタイプ)で、ボディー材から何からオーダーして作ってもらったものだ。 ピックアップはセイモアダンカンのSSL-1で、ボティー材のアッシュと相まって、甘く芯のある音がする。
長く使っているので、フレットがかなりへこんでいる。3フレットから7フレットにかけてが特に酷い。そこで、フレットのすり合わせをするためにネックをはずしているのだ。
ヘルメットをかぶり、ホームセンターへ向かった。すり合わせには、マスキングテープと紙やすりが必要だ。それから、楽器屋で弦を買う。ヤマハの009からのセットだ。いろいろ評価はあるだろうが、僕にはこれがしっくりくる。
楽器屋のドアを開けると、店の奥から電話で話す声が聞こえた。それから、アンプの前に座ってベースを弾く女の子の後ろ姿。
ギターの弦を物色していると、後ろから「いらっしゃい」と声がした。電話が終わったようだ。
「マスターの店行ってる?」
そう言うと、店長は1弦から6弦まで、一個づつ揃えてくれた。
「いや最近は・・・」
僕は言った。彼もあの店の常連で、何度かカウンターで一緒になった。あの店のギターを売ったのは彼だ。
「マスター寂しがってるよ」
僕はだまっていた。
「ビビってる」
さっきから、1音1音確かめるようにベースを弾いていた女の子が控えめに言った。
「12フレットからのハイポジションにビビりがあります。それから、オクターブ調整ができてません。」
そう言うと、ハイポジションで、ペンタトニックスケールを綺麗にひいた。
確かにビビりが出ている。
「あぁ、それ調整まだなんだ、ごめん。もう、調整しとけっていったんだけどなぁ」
そう言って、僕にふざけた笑顔をむけた。
この店あなた一人しかいないでしょ。と心の中でつぶやくと、彼女が振り向いた。
「・・・カオルさん」
心臓がひとつ大きく脈打った。そして、細かく、速くそれは続いた。
なんで、ここにいるの?
支配の衝撃は恋より激しい。
彼女は怪訝そうに僕を見て少し頭を下げた。
僕も彼女を見た。瞳の中に僕の記憶を探してみたが、それらしいものは見つけられなかった。
「知り合い?」
店長が僕の不自然な態度に聞いた。
僕は早く会計を済ませ、店の外に出ようとした。
「・・・リョウ・・・くん」
振り向くと、彼女は懐かしい景色でも見ているような顔で、微笑んでいた。
彼女に誘われて向かいの喫茶店に入った。
彼女はアイスコーヒーの氷をストローで突きながら、昔僕の家の隣に住んでいた事、近所の神社で泥団子を作って遊んだ事、家族ぐるみでキャンプに行ったことなど、思い出しながら楽しそうに話した。
そして、その記憶は僕のものと同じだった。「イワタカオル」僕の幼馴染だ。
いったいどうなっているのだ。僕が望むと彼女は現れる。それも、形をかえて。もう、ジンの妹でもないのだ。何が起こっているというのか。僕は本当におかしくなってしまったのか。どんどん世界が変化している。彼女との出来事は、遠い昔のようだし、ついさっきの事のようにも思える。時間とはそもそもあやふやなものなのだ。それぞれの認知の問題だ。そして、この世界や現実だって。
僕は必死に平静を装った。何故だかわからないが、そうすることがいいと思った。気づかれてしまったら、もう二度と彼女に会えないような、そんな気がしたのだ。
最後に彼女は名刺を渡し、また会いたいと言った。もちろん僕も同意した。
彼女は店の出口で振り向くと、電話をかけるポーズをした。僕は軽く手をあげてそれに答えると、綺麗な笑顔で手を振って出て行った。
さぁ、いったい僕はどうしたらいいのだろう。あきらかに、僕か、この世界のどちらかが狂っている。もしかしたら両方かもしれないが。
ただ、確実なのは僕は彼女が好きだということだ。支配されていると思えるくらい。これは間違いない事実だ。
そうだ、これからフレットのすり合わせをしよう。そして弦を張り、彼女に電話する。それから、また考えればいいだろう。
名刺には大きく名前が書かれていた。その左上には小さく「支配人」と書かれている。その他には電話番号とメールアドレス、会社名はどこにも書かれていなかった。
「・・・支配人」
僕はつぶやいた。