有り余る時間を楽しく過す極意を知った友人らとの交流の場。 環境にやさしい趣味の世界へどうぞ。 趣味は現役の時から持つと人生が倍に楽しめます。
 
CATEGORY:船の思い出

2013/02/28 20:45:12|船の思い出
船の思い出・・・帰国・・・最終回

船の思い出・・・帰国・・・最終回
 
フィラデルフィアのホテルに一泊し、翌日にはローカル空港からニューヨーク飛行場に飛びます。
ホテルでの食事では、食器類の大きさ、頑丈さにびっくりしました。船内で使用したナイフは、鉛筆を持つ要領で使いましたが、アメリカのナイフは握って使うほど大きなものでした。文化の違いか、西部開拓の歴史によるものか、色々勉強になりました。
また、黒人のボーイにビールを頼んだところ、どんな種類のビールを欲しいのか聞かれました。当時の知識では、キリン、アサヒ、サッポロとかのメーカ名しか認識していませんでした。
面倒でしたから、あなたが一番好む種類を頼むと言い返しました。バドワイザが出てきました。
 
ホテルから女房の実家(次男誕生のため実家里帰り)に電話をし、応答時間が掛ることを実感した次第です。
ホテルから飛行場へ、東京行きの直行便へ乗り換えました。いよいよ帰国です。アンカレッジ経由を期待していたのですが、手配されていた便は直行便でした。お陰で、お土産はごく僅かでした。
 
写真ー1
帰国前のひと時、パブらしき店で最後の交流会です。誰かのポラロイドカメラで写したものです。床に座っている右端のメガネがKOCHANです。
 
写真-2、 3、 4
カナダ上空かアラスカ上空からの氷河の眺めです。
大洋とは違う地球の偉大さを垣間見た瞬間です。
無事、機内の乗客になった安心感からか東京上空まで熟睡したままのフライトでした。
 
帰国後即出社すると設計部長に呼ばれ、BORGNES号からの手紙を渡されました。ボースンが書き、全乗組みのサインがある手紙でした。
「設計部長名宛
KOCHANは、下船してもなおBORGNESの全乗組みの友人である。階級の分け隔てなく親切に指導してくれた。保証技師として乗船する機会を与えた会社の上位者に感謝する。共々発展することを祈る。乗組みを代表しボースン名」
こんな主旨の手紙でした。
後日、人事の担当者から社内接待を受けたことを懐かしく思い出します。
本日で「船の思い出」を終了します。






2013/02/27 21:33:53|船の思い出
船の思い出・・・デルウェアで下船

船の思い出・・・デルウェアで下船
 
カリブ海を北上しキューバ島を眺め航海した記憶はありますが、写真が残っていません。
デルウェア湾に入り下船する岸壁に着きました。永い船旅でしたがあっという間の出来事でした。
ホテルは由緒ある「ベンジャミン フランクリンホテル」だとエイジェントが案内してくれました。
盛大なお別れパーティが行われましたが、誰もが別れを惜しみ深酔いすることはなく紳士・淑女然とした雰囲気でした。
パーサーから最高のスカッチだ、全員からのプレゼントだ、とボトルを頂きました。
30歳の日本人一人と、20数名のイギリス人との交流はひとまず終了します。今、彼らに会うことが出来たら、心からありがとうと感謝の言葉を掛けたいものです。
 
写真ー1
下船する港の岸壁です。
イミグレーションの手続きを終え、迎えの車に乗った時には寂しさとありがとうの涙が頬を濡らしました。
 
写真ー2
数年後の正月に頂いた電気技師のトニーからの新年の挨拶です。
 
写真ー3
もう一度乗組の皆さんとお別れです。
素晴らしい時と機会をありがとう。その後の人生に大きな幹を築いてくれた仲間でした。






2013/02/26 20:08:19|船の思い出
船の思い出・・・カリブ海への航海

船の思い出・・・カリブ海への航海
 
パナマ運河を抜けカリブ海に出ました。
この時点でフィルムが無くなり大西洋の航海の写真はほとんどありません。大西洋に出たことでまたパーティーとなります。
 
写真ー1
2等航海士と腕相撲です。彼は非常に冷静な男で、何くれと無く助言を頂きました。乗船して4ヶ月にもなると旧知の友人のようになりました。
人種は異なっても人間は同じだと実感した次第です。
顔を手で覆っているのは通信士です。
 
写真ー2 写真ー3
パナマ運河の絵葉書です。運河のパイロットが記念に持っていけと呉れたものです。快活なパイロットでした。何時かは日本に遊びに行きたいといっていましたが、夢が実現することを祈っています。






2013/02/24 20:27:45|船の思い出
船の思い出・・・パナマ運河最後のロック

船の思い出・・・パナマ運河最後のロック
 
ガトゥン湖を航行しいよいよ最後のロックに入ります。このロックを抜ければ大西洋側です。
 
写真ー1
ロック内での航行は、水路が広ければエンジンを回し自航します。但し、前後左右に電動車が付き、本船を水路の中央に維持します。
この写真は途中のロックです。
 
写真ー2
ガトゥンロックの管制センターです。
1913年の文字が見えます。
 
写真ー3
ロックの水位が下げられリモン湾の水位と同じ高さまで下ります。
いよいよ大西洋側のカリブ海に出ます。
 
写真ー4
水路の間には地下室があり水位の制御をしているようです。幾つもの空気抜きベントが並んでいます。






2013/02/23 21:29:50|船の思い出
船の思い出・・・ガトゥン湖・・・運河内のパーキング

船の思い出・・・ガトゥン湖・・・運河内のパーキング
 
ゲイラード・カットを抜けると眼前に大きな湖が広がります。ガトゥン湖です。運行時間待ちによりここでアンカーを下ろす船もあります。ブイの並びに沿い航行します。
 
ガトゥン湖と記憶していますが、SANKO汽船の貨物船と出会いました。太平洋上でもジャワ海でも、何処に行っても日本の船会社の船に出会います。海上荷動きが活発だった時代なのでしょう。但し、乗組員は仕組み船のため外国人のようでした。
 
太平洋のど真ん中でも、海面に浮いているオイルの色には、人間の営みの大きさを感じると共に、汚した地球を元に戻すことは簡単でないことを実感しました。
後々に転勤し、下水処理関係の業務につくことは夢にも思わなかったですが、この航海に因縁があったのでしょうか。
 
写真ー1
大西洋側から航行してきたSANKO汽船の船と出会いました。ロックを抜けたところです。
 
写真ー2
時代を風靡したSANKOが輝いて見えました。満載喫水での航行です。
同船主の船を建造したこともありますので、余計にまぶしく見えたのでしょう。
 
写真ー3
湖か水路の途中かは定かではありませんが、港町や造船所がありました。






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