| ついに1年以上更新をサボってしまいました。 2017年もまとめブログの更新に追われて こちらは疎かになりそうですが たまには書かないといけませんね。
1月23日には長年の音楽仲間である HELSINKI BOOGIEの原田氏が 四十九歳の若さで亡くなりました。
高校の文化祭に私と一緒のバンドで出演。 その後マサアキ・フェスティバルでの 対バンとして1990年の第2回から2008年の 最終第26回までの20年もの間、 毎回共演してくださいました。
第1回(1989年8月21日)はMASA-AKI ARMYの ワンマンライヴで観客もわずかだったマサフェス。
第2回(1990年1月3日)は真冬で将明さんも 「だからこんな寒い中ライヴなんてやるのは 無謀だって言ったんだよ〜」 などと嘆きながら準備をしていました。
しばらくすると遠くからラッパの鳴り響く音がして、 その音がだんだん近づき原田氏、5414氏達が 行進しながら会場にやってきたのです。 あの光景は今でも脳裏に焼き付いています。 アーミーのメンバーをはじめ皆が大ウケで 会場は一気に盛り上がり、寒空の下 HELSINKI BOOGIEとMASA-AKI ARMYは交互に 2ステージずつライヴをやり最後は2バンドでの セッションも真っ暗になるまで続けられました。
この第2回の出来事でマサフェスは複数のバンドが 集まっての野外ライヴという形式になっていき 毎年出演者も観客も増えて会場が取り壊される 2008年まで続いたのです。 原田氏をはじめとするHELSINKI BOOGIEの 皆さんとの出会いがなければ音楽仲間の輪も ここまで広がらなかったでしょうし MASA-AKI FESTIVALは2,3回で 終わっていたことでしょう。
高校1年で同じクラスになってから ずっとどこかとぼけた面白キャラだった 原田氏ですが、たまにマジメな話をすると 賢くて思慮深い人なんだなってわかりました。 でもそんなことを全くひけらかしたりせず だからこそ皆から愛されたのでしょう。 May he rest in peace.
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