絵が汚いか、有り難う
絵が汚いか、有り難う
絵が汚いか、有り難う。 私が十二年三ヵ月弱やった教員時代だったら、多分、こういう会話に成った。 「絵が汚い。」というのは、「努力は認める。」と言っている。 だから、私は、「有り難う。」と言い返す。 要はバーサスの関係が有ればいい。 私という人間とバーサスの関係で、私にお給料を払えばいいから。 それが生徒だから。 私に絡んで来る生徒は、自閉症、不登校の生徒より、遥かに有難かった。
※「絵が汚い。」に、「有難う。」と言っても、勿論、次回、綺麗な絵を描くという意味では無い、私の場合。市立中学校だから、市立中学校レベルの教育、仕事しか、してはならないから。これが、私の生きざまだ。地球人類71億が、この地球上に生きている。だから、私は、その71億地球人類に迷惑をかけない。これを教える事も、私の授業だった。その為に、GHQは、組合をつくった。私は、社内イジメとか、絶対零度とかのレベルにテレビドラマが成ったあたりから、テレビドラマを見る事が出来なく成った。何と、今は、ブラック企業に成っているようです。組合活動をちゃんと続けていなかったのかな?。ヒューマンが仕事をしている、機械が仕事をしているのではないという現実が、犯されまくったようです。 |