ブログ07

皇紀2665年度。
 
2010/02/07 13:34:47|カラーパンストの摂理
この世に生きている間は、この物々交換ができる

 この世に生きている間は、この物々交換ができる

 三浦市には、主任制度が無かった。学年主任ではなくて、学年長だったのです。それで、主任手当については、組合で、主任手当受け取り係を決めて、その教諭が、主任手当を受け取って、組合に、渡していたのでした。

 学年長だから、学年職員の一番後ろにいたという事です。

 この認識・現実が返金されたので、市立中学校教諭1年目、平成4年度の学年会が成立致しました。1年5組学年長のクラスの協力担任だけでは、非担任なので、私の教科担任が成立しないのですが、次年度、1年3組の学級担任が学年会を残留したので、1年3組の学級担任が、私の教科担任をして下さっていた現実が返金致されました。

 市立中学校教諭2年目、平成5年度は、1年5組学年長のクラスの副担任が有りました。

 市立中学校教諭3年目、平成6年度は、1年1組の副担任と臨任教諭である1年4組の副担任が有りました。1年1組の副担任が有ったから、次年度、藤沢市へ異動できたと。(その教諭が、次年度、県の出先の機関へ異動致したから、私が、藤沢市へ異動できたのです。) 臨任の1年4組の教諭は、三浦市の民間の担任と。臨任の教諭に、学級担任を持たせるという事は、民間の担任を校長がしているという事です。その教諭は、私が三浦市にいた3年間、学級担任を持たされているので、3年間、校長は、三浦市の民間の担任をしていたという事です。

 市立中学校教諭4年目、平成7年度は、私は、1年2組の学級担任でした。学年主任は1年7組の学級担任だったので、1年1組から、1年6組までの学級担任は皆、学年主任を背負っている、学年主任もやっているという事です。学年主任の上のクラスの学級担任だから。学年主任の生徒教諭は、1年8組の学級担任だけだったという事です。

 私は、3年6組の教科担任もやっていたので、学年主任である2年4組学級担任(当然、学年主任の下の学級担任である2年5組学級担任&2年6組学級担任&2年7組学級担任も背負っています。)&3年6組学級担任&3年7組学級担任も背負っています。

 学級の生徒は、学級担任なので、教科担任は、当然、学級担任を背負うのです。

 ここまでの学年会は、成立しているのです。

 しかし、次年度、童貞の教諭である私の学級担任をクビにしたので、校長の妻が亡くなったと。私の上司であった1年1組の学級担任が、2年7組の学級担任兼学年主任に降格したと。学年主任兼務の学級担任にされたという事は、降格だから。三浦市には、主任制度が無かった。即ち、教務長が、学年会職員だったのです。向こう側の職員では無かったのです。だから、学年長と。

 しかし、藤沢市に於いては、教務主任が、向こう側の職員だった。校長が、教務主任を背負う事によって、学年主任も創っていたという事です。教務主任を創らなければ、学年主任も創る事ができないのです。

 その次年度&次次年度は、校長が学年職員だけを決めていたと。学年主任&学級担任は、学年会が決めていた。最初、学年主任を決めて、その後、学級担任希望を取って、学級担任を決めていたと。即ち、校長の学年会ではなかったという事です。童貞の教諭の学級担任をクビにした校長、学校運営できないから。校長が、学年職員の下の地位になったという事です。だから、卒業式、生徒が雛壇の上に並んでいて、一番下の地面である体育館のステージの校長が、3段位有った雛壇の上の生徒に、一人ずつ、卒業証書を渡すという卒業式だったのです。

 そこに、蛇校長が派遣されてきて、蛇校長が派遣されていた年度、即ち、平成9年度の11月29日に、私の母親が、軽自動車の1ボックスカーで、配達中に、木に衝突して、左頬部鼻腔粘膜裂傷・左頬部軟部組織挫傷で、12月18日までの20日間入院しました。それで、私は、このままでは、私の家族を、この蛇校長に殺されてしまうと認識致したので、以後、生徒を上に上げる無駄な授業、信頼関係の授業に切り替えたのでした。その時、大変な生徒であった彼は、「今まで大きく見えていた○○先生(私の事です。)が、小さく見える。」と言った事を覚えています。それで、2年7組の学級委員の男子も、エホバである学級担任に反旗を翻してしまったと。学級担任をクビにしてしまったのです。その大変な生徒、(1年3組の学級担任、即ち、素戔嗚尊の現実の事です。)、を背負わない学級担任の学級委員、やらないと決定してしまったのでしょう。勿論、これをやったのは、その生徒が1年次に所属していたクラスの学級担任です。1年3組以降の学級の生徒の名簿が無いので、その生徒が、どの学級担任なのか、分かりませんが。

 (今、テレパシーで、1年4組、即ち、天照大神のクラスの生徒であると知らされました。素戔嗚尊の姉である天照大神が、エホバ、即ち、国之常立神をクビにしたという事みたいです。)

 私は、蛇と聖書の主なる神、即ち、エホバ、国之常立神がグルであると最初から思っていました。現実にも、エホバは、蛇校長の奴隷、ボスしかやっていなかったから。善悪が無い、力がより強い者に従うというボスの生き様だったから。この教諭は、1年時の時、私に、「今、飛んでいったカラスを私が黒いと言ったら、オマエも黒いと言え。」と指導していたのを思い出しました。あと、職員室で、タバコを吸い続けていました。ボスという感じの教諭だったのです。石原裕次郎と。右脚?を引きずっているところも一緒でした。ボスを選ぶと、右脚を引きずるという事になるみたいです。(その理由を私は知っていますが、書きません。外人の日本国内に於ける現実、即ち、本当の現実はどうなっているのかという問題だから。この、外人の本当の現実について、まだ、書くわけにはいかないと。)

 サタン、即ち、雄、即ち、小泉純一郎と、エホバ、即ち、雌、即ち、森喜朗の本当の姿、現実はどうなっているのか? 人間を辞めて、サタン、即ち、雄、&、エホバ、即ち、雌を選ぶと、どういう処罰を、神にされるのか? 世の中、甘くは無いのです。神は峻厳なのです。即、処罰するから。

 蛇というのは、おそらく、橋本龍太郎です。橋本龍太郎は、小渕恵三=ルーシェルに処罰されて、インターネット・住基ネットの存在にされたと。蛇校長は、橋本龍太郎の現実なので、この物も、インターネット・住基ネットの存在なのです。機械と。

 橋本龍太郎、即ち、蛇が機械、小渕恵三が娘、森喜朗が雌、小泉純一郎が雄、安倍晋三が権力、福田康夫が民間、麻生太郎が女子、鳩山由紀夫が犬という現実が返金致されました。民間が、童貞の市立中学校教諭である私を背負っていないという現実は有り得ないからなのでしょう。

 おそらく、小沢幹事長が父と。鳩山由紀夫内閣総理大臣が母と。小沢幹事長には、三人の息子がいると。長男は、民主党離党で、議員辞職を免れたようであると。あと、三人とも逮捕されてしまったと。

 中曽根康弘は、確か、息子が参議院議員で、生き残っていると。参議院議員というのは、貴族職・名誉職と感じます。上院議員と。会長と。実務をやらなくて済む存在と。企業に金を貸し出すという仕事をしている銀行のような存在と。利益を上げる事ができる企業を選んで、金を貸し出して、利息・利子を取っている存在と。

りそく【利息】
「利子」の通称。
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

りそく【利息】
=りし.
New College Japanese-English Dictionary, 4th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1933,1995,1998

りし【利子】
お金を貸したり 預けたり することによって得るお金。元金に対して一定の割合によって支払われる。利息。
用例・作例
―をつけて返す〔=物を返す時にたっぷりお礼を添える〕
⇔元金(モトキン)
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

りし【利子】
interest (on a loan)
句例
高い[低い]利子で (borrow money) at high [low] interest
6分の利子のつく預金 a deposit carrying [drawing] 6 percent interest
5分の利子を生む yield [bear] 5 percent interest
利子をつけて返す pay back 《money》 with interest
文例
利子なしでお金を貸してあげるよ. I’ll lend you some money without charging any interest. / I’ll make you an interest-free loan.
New College Japanese-English Dictionary, 4th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1933,1995,1998

 利子を得るという事は、拡大再生産であると。利子を得ないという事は、単純再生産であると。私は、この世に生きる事は、魂を向上させる為なので、単純再生産が基本であると考えます。私は童貞なので、無給という事です。有給ならば、その分、非童貞となるから。子にされた場合には、親の地位がその分、支払い致されると。子にされなければ、親にも成れないと。というように、世の中は、双方向の関係であると。有給である分、処女は、蛇を背負わされて、非処女にされると。有給である分、童貞は、非処女を背負わされて、非童貞にされると。子をやってしまったら、(子をやってしまうというのは、自分の親を踏んでしまうという事です。)、やってしまった分、交尾をして、自分を下げないと苦しいので、交尾をし続けてしまって、親にされてしまうと。世の中は、このようになっていると。そして、安定したら、交尾はしなくなるという事です。セックスは、金・信用貨幣の楽しみをやると、やった分、しないわけにはいかないと。金・信用貨幣を遣わない文化文明生活有り得ないので、セックスは死ぬまで、し続けるという事です。セックスとは、物々交換、即ち、身体の交流・交換の事です。

 牛を食べれば、牛と物々交換と。豚を食べれば、豚と物々交換と。鶏を食べれば、鶏と物々交換と。魚を食べれば、魚と物々交換と。水を飲めば、水と物々交換と。空気を吸えば、空気と物々交換と。電気を遣えば、電気と物々交換と。ガス・水道も一緒と。本を読めば、本と物々交換と。電子本を読めば、電子本と物々交換と。テレビ・ラジオも一緒と。

 衣服を着用すれば、衣服と物々交換と。知識・言葉・智慧等も一緒と。意思・感情・心情・意志等も一緒と。

 この世に生きている間は、この物々交換ができると。あの世に逝ってしまうと、幽かな・微かな存在になってしまうので、殆ど、物々交換ができないという事です。(即ち、この世に生きている間に、自分のあの世の生活を、自分の好みに合わせて、創った方がいいという事です。人生は、一度しか無いのだから。合体・再臨協助しても、殆ど全く、進歩向上はできないのです。)






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