庭に出るとかすかに春雨が降っている。
白木蓮の花びらに雨粒が着いて、
木瓜の花にも水滴が付いて、
膨らみかけた桃の蕾にも
霞の集いのような春雨が玉となっている。
玉響(たまゆら)の音をさがしに春の海
玉響(たまゆら)とは
玉が触れ合ってかすかな音を立てること
から、ほんのしばらくの間とか一瞬、
あるいは、かすかなことを言う。
折口信夫の万葉集に現れた古代信仰
(たまの問題) によると、
古事記、日本書紀、万葉集には、玉が
触れ合う音に対する、古人の微妙な
感覚が示されている。
玉を通して霊魂の所在を考えている、
玉の発動する場合の深い聯想があり、
その音を非常に美しく神秘なものに
感じている。玉が音を立てて触れ合う
とき、中から霊魂が出てくると
信じていたそうである。霊魂の貯蔵所
としての玉、それが装身具の玉となり、
玉は単なる装飾とは考えていなかった
とか、
即ち玉は霊魂の在りかでもあると。
荒波により来る玉を枕に置き、
吾ここなりと、誰か告げなむ
(万葉集 226)
(訳)
荒波に寄せられてくる玉を枕にして
私がこの浜辺にいると、誰が告げて
くれたのであろうか。
寄りくる玉
実際は海辺に打ち寄せられた石や貝。
次の歌の柿本人麻呂になり代わって
詠んだものか。
鴨山の岩根しまける我れをかも
知らにと妹が待ちつつあるらむ
(万葉集 223)
柿本人麻呂、石見の国に在りて
死に臨むときに自ら傷みて作る歌である。
(訳)
鴨山の山峡の岩を枕にして
行き倒れている私なのに、
何も知らずに妻は私の帰りを今日か
今日かと待ち焦がれていることで
あろうか。
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