幻塾庵 てんでんこ

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2020/07/12 14:51:00|事務長雑記
『多和田葉子ノート』書評
 

「図書新聞」7月18日号に『多和田葉子ノート』の書評
 
愉楽に満ちた旅の道のりを開示(谷口幸代)が掲載されました



「詩の人類学者」――日独バイリンガル作家の多和田葉子は、『エクソフォニー』(二〇〇三年、岩波書店)で室井光広をこう呼んだ。このエッセイ集で、多和田は多様な言語事情をもつ世界の各都市を訪れて、言葉と世界との関係について刺激的な思索をめぐらせたが、その中で唯一日本国内の訪問地となったのが室井の郷里、奥会津であった。多和田はその地で言葉の魅力を発掘し続ける室井の創造的営為を、「詩の人類学者」のフィールドワークと表現したのだった。

 その後、室井が昨年九月に急逝し、遺著の一冊として刊行されたのが『多和田葉子ノート』である。単行本化の過程で病に伏し、遺著になるかもしれないとの思いが著者の脳裏をかすめたことが後書きで明かされている。奥付に記された発行日は「二〇二〇年三月二十三日」。これは特別に選ばれた日付だろう。多和田葉子、六十歳の誕生日に当たるからだ。遺著と誕生日、死と生が交錯する本書には、多和田から「詩の人類学者」と呼ばれた室井光広が多和田葉子その人の文学をどのように読んだのか、その豊穣な軌跡が刻まれている。

 本書の構成は、ノート篇、序説篇、ブック・レヴュー篇、さらに対談二本を完全収録した対話篇の四部から成る。約二十年前の対談から書下ろしの文章までを収める充実した内容・構成だが、中でも全体の三分の一以上の分量を占める「ノート」三篇が本書の根幹を成す。それらの「ノート」で、室井はハンナ・アレントのブロッホ論などの先例に倣って、多和田をドイツ語で詩人・作家を意味する「ディヒター」と呼び、多和田の作品と様々な世界文学とを結ぶ回路を開きながら、広く確かな見識で多和田文学の魅力を深く掘り起こしていく。「ノート」と題されているものの、単なる断片的な覚書というべきものではない。「詩の人類学者」によるフィールドワークの発見を記したフィールドノートである。

 たとえば「ノートT ディヒターの心配」では、長編小説『地球にちりばめられて』(二〇一八年、講談社)が主に取り上げられる。この小説は、デンマーク在住の移民、Hirukoが母語を探す旅を描く。Hirukoは「手作りの言語」の「パンスカ」を話し、それはスカンジナビア諸国で通じるが、「異質さ」を保ちながら、「どんな母語とも直接はつながっていない」言語で、「パンスカ」を話している限り、「どこまでも自由で、自分勝手」でいられて、かつ「孤独」にならないとされている。

 このような「パンスカ」について、室井は「見果てぬ夢の言語」で「オドラデク」のようなものであるとして「オドラデク語」の類と規定する。「オドラデク」とは、カフカの短編小説Die Sorge des Hausvaters”に登場する、生物とも物体とも判別しがたい不思議な存在であり、室井と多和田両者の創作に関わる。室井は「オドラデク」をモチーフの一つとして芥川賞受賞作『おどるでく』(一九九四年、講談社)を執筆し、多和田はDie Sorge des Hausvaters”の新訳「お父さんは心配なんだよ」を発表している(多和田葉子編『カフカ』収録、二〇一五年、集英社)。

 さらに室井は、Die Sorge des Hausvaters”が発表された年に、カフカが日記の中でノルウェーの作家クヌート・ハムスンの作品の登場人物に言及していたことを想起し、Hirukoの旅の同行者の名がクヌートであるという一致に目を向ける。室井は、このようにカフカとの間に橋をかけながら『地球にちりばめられて』を読み、読みながら絶え間なく鋭敏な思考を働かせていく。

 本書は、カフカの他にも、シェイクスピア、ゲーテ、アンデルセン、セルバンテス、ボルヘスらを繰り返し引き合いに出し、多和田作品と重ね合わせることを通して、多和田の文学世界の核心に迫る。これが、ボルヘスを教祖とする「読者教」の信者を自称する室井が多和田のテクストを読む基本的な姿勢である。

 文学テクストへの室井の対し方に関して、井口時男は追悼文の中で、彼は対象を裁断して高みから論じるのではなく、「語ること自体の愉楽を味わうようにテクストを自由に「遍歴」」し続けたと深くあたたかな言葉を贈った(「「田舎者」の世界文学」、『群像』二〇一九年一二月号)。本書にも多和田文学をめぐる遍歴の愉楽が満ちており、多和田のテクストを読む室井の思考の回路がそのまま多和田文学をめぐる旅の道筋のように思えてくる。

 室井は、Hirukoの旅の同行者となる資格を、「グローカルな言語へのリビドー」や「言語にエロスを感じる体質」に求めた上で、自らもHiruko達の旅の道連れに加わりたいとの願望を吐露している。そこにも表れているように、彼こそ、「グローカルな言語へのリビドー」や「言語にエロスを感じる体質」の持ち主にほかならない。とするならば、言語をめぐる知的でユーモラスな実験性に富む創作活動を展開する者としての共感をもとに、多様な文学や思想を縦横に参照・引証しながら多和田のテクストを読む、愉楽に満ちた旅の道のりを開示したのが本書と言えるのではないだろうか。

 本書刊行から約二カ月を経て、多和田の新刊『星に仄めかされて』が刊行された。『地球にちりばめられて』に続く連作の第二部である。Hirukoたちの言語をめぐる旅はさらに続き、まもなく第三部が始まる。新たな展開を迎える多和田文学を、室井ならどう読むだろうか。そう思わずにいられない。





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