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2020/04/07 23:23:23|歴史(日本史)
福島正則公 屋敷跡
今晩はkai_kaiです。

今日の午後、日本国政府より緊急事態宣言が出されました。

私のブログを読んでいただいている皆様、

お身体に気を付けてお仕事頑張ってください。


では、本日のお話をさせていただきます。

今夜は、ほ〜んと久しぶりに日本史:先日訪れました”福島正則公 屋敷跡”の

お話をさせていただきます。

先ずは、福島正則公について簡単にご説明させていただきます。

出身地は愛知県で豊臣秀吉とは親戚関係にある武将です。

色々な戦で功を上げ、頑張って最初に四国の今治の領主となり、その後も九州平定、小田原征伐、文禄慶長の役等にも参戦し清州の領主となった後に、
関ケ原の戦い、大阪 冬・夏の陣に参戦した後、
広島に約50万石の大名になりました。

戦国時代も終わり、江戸時代に入ると幕府から武家諸法度(ぶけしょはっと)が施行されましたが、正則は台風被害にあった広島城を幕府に修理の届けを
出さずに修理してしまいました。
他にも色々幕府より難癖をつけられ、
その結果、広島50万石没収の後に、今の長野県高山村に4万5千石の
領地替えにされてしまいました。

※イメージがわかない方へ。
現代風に言うと、地方都市の支社長が、一地方支社の支店長に
降格されたようなものです。

長野県高山村に屋敷を構えたのが、以前ご紹介させていただいた、
お寺(高井寺(こうせいじ))になります。

福島正則公 屋敷跡 (現:高井寺になります)
 

高井寺入口脇(上記画像:右側)には、屋敷跡の説明板が設置されています。
 

本お屋敷跡の周囲には、下記画像の様に石垣が残されています。
なかなか、見応えが有ります。
 


また、お屋敷跡から数キロ離れた場所に、福島正則公の荼毘(だび)の
場所が有ります。
※荼毘とは ➡ 火葬 の意味です。

荼毘の場所は周囲を畑に囲まれており、とても静かな場所です。
 
 
 
 
 

正則公の荼毘の後に、福島家は、おとり潰し になってしまいました。
何故ならば、幕府が派遣した検視役が到着する前に、
荼毘にしてしまったからです。


あくまでも私見ですが、
福島正則公は書籍等では勇猛果敢の武将に描かれていますが、
私は正則公は文武両道の方で、また、領民思いの方だったと思っています。

正則公のご両親は豊臣秀吉公の親戚の方なので
最初から武士ではなかったと思います。
もしかしたら、お百姓さんかもしれませんね。
だから、年貢に関しても正確な検知を行い、それに見合った石高で
年貢米を徴収していたそうです。
※現代風に言えば、年収に見合った税金の徴収ですね。

では、今夜はこれで失礼いたします。
 





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