★ ≪トキメ気≫の[iBOX] ★ [男と女の風景] (短編小説集)

これは、大人のラブストーリーです。 我が人生に、夢よ! もう一度・・!  いつまでも、恋も愛も、いっぱい欲しい。 そんなバーチャル・ラブを、どうぞ・・。 
 
2020/07/09|その他
―― 天 使 の 絶 叫  ――
           2020年7月9日(木) 00:00時 更新 
                            

    我が家のベランダ・ガーデン
 
 今回は、最近、鉢に造り込んだ≪シダの寄せ植え≫を紹介します。
 実は、昔盆栽をしていた頃、幹の根元が15センチほどの太いカエデがありました。
 それが、なぜか枯れてしまい、放置していました。
 そして、数年前に棚の隅で見つけた時、幹の芯の部分が腐食していて、それを取り除いたら、中が空洞の立体的な鉢になったのです。
 それ以来、ずっと何を植え込むかs考えてきて、今回、他の鉢から抜いてきて、こんなシダの寄せ植えを造りました。
 
  ≪写真・左・・斜め上からの全景 
  写真・中・・真上からの全景
 写真の上部に見えるのが、≪モミジヒトツバ≫です。
 写真の中央(頭頂部)にあるのが、≪奄美デンダ≫で、まだ新芽が続いています。
 写真の右を拡大したのが、次の写真です。


  写真・右・・クラマシダと黄金シダ
 上部に広がるのが、鞍馬シダで、下が黄金シダです。
 遠くから見ると、お互いに似ていますが、鞍馬シダは、葉が肉厚で、しかも秋には紅葉をしないし、冬には枯れて、春に新芽を出します。
 

                      [男と女の風景・169] 
                    
― つづき・2 ―                                  
  ―― 天 使 の 絶 叫  ――
 
  ≪前回のラスト≫
「私、実はお父さんを知らないんです」
 さりげなかったが、唐突なひと言に、エッと、驚いた。
 梅里は、麗花の表情を見たかったが、見てはいけないような気がした。
「父がどんな名前で、どんな人か」
「ヘェー・・。戸籍上も」
「ええ。古い写真も探しましたけど、なかったんです。母に聞いても、いつも黙っているだけで・・。問い詰めると悲しそうな顔をするので、もう聞くのも止めました」
梅里は二の句も次げずに、ただ白ワインを飲むしかなかった。
――この女は、どんな思いを抱いて生きているんだろう。
  父親が不明で、不在な現実を。
  そう、自分にどう説明し、どう気持を整理したんだろう。
  こんな時、オレはどうすればいいんだ。
  慰めの言葉とか、ぎゅっと抱きしめてやるとか。
  でもな、事の重大さに比べたら、手も足も出ないよ。
 

  ≪今回のトップ≫

「でも私、実は、一度だけ見たことがあるんです」
「エッ、なに」
「あれは、きっとそうです」
 梅里は、顔を挙げると、やっと麗花の顔を見ることができた。
 麗花は、ソムリエの見習いをキラキラとした目で追いかけていた。
 しかも、少女の面影を残すその横顔は、石窯の熱気にほんのりと赤く火照っていた。
「小学生の頃、休日に祖母と映画を見に行った帰りに、その人は、アパートの門から出てきたんです。冬の夕方で、辺りはもう暗くなっていて、街灯の明かりの下ですれ違ったんです」
「では、顔を見た」
「いえ、見えなかったんです。黒い中折れの帽子をかぶってました。祖母に聞いても、知らない、って言うの・・。なんども聞いたら、多分違う人だよ、って、それだけ・・」
 消え入りそうな声に、麗花の淋しさが滲んでいた。
「そうそう、梅里さん、知ってますか。≪第三の男≫っていう映画」
「あぁぁ、あの古い映画でしょ」

「ええ。モノクロで、オーソン・ウェルズがやったハリーの役、その姿、形が、あのまんまだったんです。ただ違うのは、黒い大きなバッグを持っていただけです
「あぁ、そうだよ。あのナゾの男でしょ」
「ええ。太って大柄な黒の男」
「そうか。でも、そんな古い映画、よく知ってるなぁ」
「いえ、最近知ったんです。レンタル・ビデオのショップに行った時、あのポスターを見て、ビックリしたんです。あぁぁ、もしかして父とそっくりだ、って・・。それで借りてきたんですけど」
「ヘェ、あれはスパイものだっけ」
「いいえ。でも、ストーリーよりも、あの黒い姿だけを、何度も見てました」
「そうか。ダブル・イメージなんだ」
 すると麗花は、なぜか押し黙ってしまった。
――きっと、あのモノクロの映像を、想い出しているんだろうな。
  違う人かもしれないのに、思い込んでしまった黒い後姿、
  でも、虚像か、実像か・・。
  しかし、もう、頭の中に、永久プリントされているんだろうな。
  でもさ、それも仕方のないことだよ。
  麗花の父親は、その暗闇にしか存在しないから・・。
 
「でも私、母にバレバレなんです」
「なにが」
 例花は急に話題を変えると、笑顔を浮かべて、陽気に話し出した。
「だって母は、『あなた、今日、エッチしてきたでしょ』って言うんですよ」
「エッ、どういうこと」
「そういうことですよ」
 麗花は平然として、まるで普通の会話をするように、なんとも、あっけらかんとして言い放った。
「エエッ。それって、ヤバイよね」
 梅里はそんな軽妙さに、麗花の眼を見つめながら、瞳の奥底を覗き込もうとした。
「ええ、なんか気分がウキウキしていて、匂いも華やか、なんだそうです」
「ヘェ、それが母親の嗅覚なのかな・・。でもさ、そういう麗花って、想像がつかないな」
「私だって、もう女ですよ」
「そうか。でも、高校生みたいな、少女の面影があって、さ。あぁぁ、違うか。モデルの麗花は高貴で、色っぽくて大人の女だったよな」
 
「梅里さん、私を口説きたい」
「エッ・・」
 余りにも唐突な質問に、心臓が止まり呼吸が止まった。
 すると、戸惑って硬直した梅里の顔を、麗花は楽しむように覗き込んできた。
「うん。まぁ・・、そうだね」
梅里は、やっとの思いでそう答えた。
 だが、こんな会話は、梅里にはまったく想定外だった。
 そもそも、そんな気はなかったし、そんなハプニングなんて、念頭にはなかったのだ。
――なんで、こうなるんだ。
  麗花が、興味のある人物なのは間違いないけど。
  だけどさ、こんなデート自体が、初めてなのに・・。
  ニヤけて、そんな風に見えたのかな。
  でもまぁ、女の変身は想像を超えてるし、
  ましてや、女が変貌したら・・。
  そうだよ。豹変したら、どんな正体を現すかな。
 
「梅里さん、大丈夫ですよ。絶対に、そうはなりませんから」
「エッ、それはまた、どうして」
「だって、入院された時、美人の奥さんと可愛い娘さんにお会いしましたから。奥様は賢くて、優しい方じゃないですか」
「いや、そんなに上等ではないけど・・。でも、そういう理由なのか」
「そうですよ。貴方を略奪して、あの人たちを不幸にするなんて・・」
――なるほど。明確な意思を持ってるな。
  まだ若いのに、立派だよ。
  精神的にも自立してるんだろうな。
  でも、ドキッとしたなぁ。
  もしかして、オレをからかってるのかも。
 
     [ 4 ]
 夜も更けると、カウンターには常連さんが一人だけで、スナック≪M≫はまったりとして静かなものだった。
 梅里は、さっきまで≪メルセデス≫で飲んでいたが、麗花にアフターでもう少し飲みたいと言われて、この店に来たのだ。
 だが、一旦はカウンターに座ったが、麗花はなにか思い詰めている様子で、強張った表情を崩さなかった。

 梅里はそれを感じていたから、店長に合図して、カウンターではなく落ち着いたボックス席に移った。
 二人は、重っ苦しい雰囲気の中で、テーブルを挟んで向かい合っていた。
「ところで、話ってなに」
「ええ・・実は、梅里さん、もうメルセデスには来ないで下さい」
「エッ、なんで・・」
「もうこれ以上、梅里さんと顔を合わせたくないんです」
麗花は、梅里を見据えたまま、きっぱりと言い切った。
「そうか。入店、お断りか」
 突然の宣告に、梅里は気が動転してしまったが、断られる理由がどうにも腑に落ちなかった。
「ところで、僕は、なにか悪いことを、したかなぁ」
「いいえ、なにも」
「エッ、なにも・・」
「はい、なにも悪くありません。ただ私、結婚したいんです」
 梅里は、一瞬、耳を疑った。
――ナニィ・・。結婚だって。
  それと、オレの出入り禁止とは、どういう関係があるんだ。
  言っている意味が、全く判からないよ。
 いきなり突き刺さった刺激的な言い方に、頭が混乱して、どう理解したものか戸惑っていた。
 
 すると、また麗花は、唐突なことを言い出した。
「梅里さん、私、去年、睡眠薬を飲んで、自殺を図ったんです」
「エエッ、嘘だろう」
「いいえ。本当です」
またしても麗花は、突拍子もないことを、平然と言い放った。
――ファー、またかよ。
  話がさ、支離滅裂で繋がらないんだよな。
  しかも、自殺だなんて・・。信じられないよ。
「でも、薬の量が多過ぎて、どうも吐き出したらしくて、私、助かったんです。母が見つけて、救急車で運んでくれて・・。私、二日間、眠ったままでした。でも、助かったんです」
 麗花はあくまでも落ち着いていて、物静かに話していた。
 
「私、最初に勤務した病院で、ある外科の先生を愛しちゃったんです」
――エエッ、なんだって・・。まただよ。
  とんでもない話題が、次々と出て来るな。
  しかも、関連も脈絡もないんだ。
  この女、なにが言いたいんだ。
「婦長さんも、先輩も、『危険な人物だから、要注意よ』って、言ってくれたのに・・。判ってはいたんですけど、でも、愛しちゃったんです」
 麗花はやおら、ウーロンハイをグッと飲んだ。
 小さな可愛らしい眼は思い詰めて、頭の芯で青い火花を散らしていた。
 
「ある夜勤の日、真夜中のことでした。
 先生の部屋に明かりが点いていたんです。確か、早く帰宅したはずなのに、と思ってそっとドアを開けたら、肘掛け椅子で、ぐっすりと眠っていたんです。
 ええ、先生は相当酔ってました。ほとんど泥酔状態で・・」
 麗花はそこまで話すと、バッグからハンカチを取り出して、そっと口元に当てた。
 だが、手元を見詰める視線は、放心したように物悲しかった。
 
「ええ、その日は、長時間のオペで疲れていたのに、家に帰らずに飲み歩いて、それで、自分の病院、自分の部屋に戻ってきたんです。
 私は、なぜ自宅へ帰らないのか、疑問に思いました。自分のベッドのほうが、疲れも取れるのに、って、そう思いました。
 放っておいたら、そのまま朝までって気になって、そっと、毛布をかけてやりました」
 麗花は、その場面を思い出して、神経質そうに眉間にシワを寄せると、フッと小さなため息をついた。
 そして、次を話すべきかどうか、迷っていた。
「そうなのか」
 梅里は穏やかにそう応えたが、内心では、言わんとする趣旨が依然として見えないために、曖昧な理解のままだった。
 
「そうしたら、先生が眼を覚まして、『ああ、神田さんか。有難う』って言ってくれて。
 今日は個室が空いてますから、移るように、って、お願いして・・。
 病室を一回りして戻ったら、『氷、ないですか』って言うんです。
 なにかと見たら、ウイスキーの入ったグラスを持っていて、『酔いが覚めたから、もう一杯、飲みたい』って、言い出したんです。
 冷蔵庫の氷を入れて、お水で薄めて、先生にお持ちしました。
 深酒は体を壊しますよって言ったら、
 『いや、睡眠薬だから』って・・。
 『僕は疲れた時ほど、飲まないと眠れないし、眠らないと、明日の仕事ができない。だから飲むんです。実はね、僕は、夜が怖いんです。意識が覚めたままで、ベッドに入るのはイヤなんです』って・・。
 私は、まさか、って、ドキッとしました」
「エッ、なにが」
「いえ」
 二人の目線が交差して、ぶつかり合っていた。
 
「でも梅里さん、こんな話、面白くないでしょ」
「いやぁ、話の中身と繋がりが理解できないんだよな。言ってることがさぁ。あっちこっち勝手に飛び火してるから」
「あぁ、怒ってますか」
 チョッと不満げに膨れて、仏頂面になっている梅里を、麗花は覗き込んできた。
「いや、ただ支離滅裂な断片を投げ出されてもさ、みんな素材も色も極端に違いすぎてさ、パッチワークもできないよ」
「フフフ、そうですよね。実は私も、なにが言いたいのか、思いつくままで、精神分裂してます」
 麗花はあっけらかんとして、遠くを見ていた。
 だが梅里には、突然飛び込んできた様々な情報が、無秩序に錯綜して、混迷をしたままだった。
 だから、麗花がもてあそんでいるのではと、疑い始めていた。
――だってさ、結婚から始まって、出入り禁止だろ。
  次は、睡眠薬で自殺だって・・。
  それから、医者を愛した話だよ。
  次は、なんだ。
 
「私、中学生の頃、スリットしてました」
「エェッ、なんだと」
 麗花は突然、また変なことを言い出て、梅里はギクッとした。
「それってさ、手首にカミソリを当てることだよね」
「ええ。そうです。お婆ちゃんが、小学校5年の時、亡くなったんです。それ以来、夜はいつも、一人ぽっちでした」
 麗花は、ふと、祖母を思い出していた。
「それで、だんだんと頭がおかしくなって、中学生の頃は精神が異常になって、幻覚さえあったんです」
 麗花は、焦げ茶色の壁の向うにある遠い闇を見ながら話していた。
 
「ええ、『夜が怖い』と言われた先生の精神状態が、私にはわかるんです。だから、先生に共鳴したんです」
――ああ、少しは話が繋がってきたな。
「夜の闇って、実は単なる≪空っぽの暗闇≫なんです。そこには、なんにもないんです。だから、怖いんです」
 麗花の潤んだ瞳から、ボロボロッと涙が零れ落ちた。
 そして、ヒザに敷いたハンカチで涙を受け止めたまま、目頭を拭こうともしなかった。
「そうなんです。夜の闇は、怖いんです」
 麗花は、かすれた声で小さくつぶやいた。
 しばらくして、ふっと気がつくとハンカチを取り挙げて、そっと両眼に押し当てた。
――あぁぁ、きっと他人には理解できない、
  いや、理解してもらえない、
  そんな重々しい体験、なんだろうな。
  その辛い思い出から搾り出した涙だよ。
  そう、深い苦悩が凝縮された青い泪、
  でも、透明に澄んでる。
 梅里は眼をつぶり、うつむいたまま、そんなことを感じていた。
「私は、先生の言葉にゾクゾクッとして、恐いものを感じました」
 麗花は不思議そうな表情を浮かべると、まぶしげに睫毛をしばたいた。
「梅里さん、夜の眠りはどうですか。安眠ですか」
「エッ、そうだね、僕は体育系なんで、バッタンキューだよ」
「そうですか。医者は激務ですから。神経も肉体も消耗していくんです。だから、傍で見ていても判るんです」
「いやぁ、サラリーマンだって、同じだよ」
 梅里は、話を軽くしようとして、同情しながら応えた。
 
「でも、実は私、まさか、ってドキッとしたのは、先生もスリットしたのかと思ったんです」
「ナニィ」
「いえ、それで私、つい涙をこぼしてしまって。そしたら違いました。
 先生が言うには、
『最近は、女房の温もりがないから、酒に頼ってるんだ』って・・。
『女房と結婚して一緒に寝ていたけど、2年で別室に追い出されたんだ。
子供は夜鳴きをするし、自分もイビキをかく。
 だから、みんなが睡眠不足になって、家庭崩壊の危機で、一人寝は当然だった。
 でも、目を覚したままベッドに入るのが、段々と怖くなってきた。
 今日の手術の結果、明日の予定、そんなことを考え始めると、妄想や幻聴がふくらんで、その世界に嵌ってしまう。
 そうなると、もう眠れない』って、
そう言ってました」
 麗花は、当時のことを思い出しながら、そこまで言うと、おもむろにウーロンハイを飲んだ。
「ええ、私はそこで、自分のことを言ったのです。
 私の母は、夜の仕事で家にいないから、お婆ちゃん子でした。いつも抱きついて、一緒に寝ていたんです。
 でも祖母が亡くなってからは、一人寝でした。それで気が変になって、スリットになったんです、と。
 そうしたら、先生が、
『自分も、子供の頃は母と一緒に寝ていた。でも中学生になって、自分の部屋で寝ることになった。開放感もあったし、友達と遊ぶのが楽しかった。
 でも、高校二年の時に、母が亡くなったんだ。
 だから、一人寝の寂しさに、耐えられなくなったのかも』って。
 実は、二人とも、深層心理に同じ魔物が棲んでいたんです。
 ええ、あれは闇の魔物です」
麗花はしんみりとして、ひと息つくと、またウーロンハイを口に含んだ。
 
「それから、気がついたら、二人は手を取り合って泣いていました。泪が止まらなかったんです。そして、ベッドで一緒に抱き合って、お互いの温もりを感じながら、ただ横になっていたのです。
 いえ、その時は、誓って、エッチはしていません。ただ抱き合って・・。
 ええ、そうなんです。夜は空っぽの暗闇、そこに魔物が棲んでいる。
 でも、二人で抱き合い、感じ合ってると、魔物は出てこないんです」
麗花は、悲惨な思い出に打ちひしがれていたが、梅里はそんな様子を見ているのが辛かった。
 麗花の蒼白い首筋が傾き、肩が萎れたように前かがみに縮んでいた。
 
 梅里は、間を持たせようと、水割りを飲み干して、もう一杯、自分で作りかけた。
 麗花が気を利かせて手を出したが、やんわりと断った。
「ここでは、貴女は仕事ではないから」
 麗花は,ニッコリとさわやかに微笑んだ。
「だから私達は、手を取り合いながら、添い寝をして、お互いを肉親のように感じ合ってる。そんな感覚が安心感になって、ふっと眠りにつけたんです。ほんの三分間の温もり、それでいいんです。ええ、二人は、そんな同じ精神病だったんです」
 すると、カウンターにいた常連さんが軽く会釈をして、帰っていった。
 だがマスターは、カウンターの中で、素知らぬ顔をして麗花の話をずっと聞いていた。
 
 梅里は、麗花から1時間位と言われていたから、タクシーを呼ぶ頃合を見計らっていた。
 だが、思い出話は延々と続きそうだった。
「私たちには、お互いの存在が必要だったんです。ええ、添い寝、それだけで十分だったんです。先生も私も、暗い闇に時々現れる黒い影、あの魔物を忘れることが出来たのです」
 麗花はもう、鼻の奥に涙をいっぱい溜めた口調になっていた。
「そんな出逢いが、月に2.3回ありました。とっても安らげて、ほっと安心するのです。先生だって、直ぐ眠りにつけたのです。
 でも、ある日、突然、その現場が奥様に見つかったんです。鬼の形相で叫んで、罵声を浴びせてきた奥様は、誰の制止も効かぬほどに荒れ狂って、それはもう修羅場でした。
 ええ、それからは、非難轟々の地獄の日々でした。気が狂い、頭がおかしくなりそうでした。
 そして私は、優しい温もりをなくして、身も心もボロボロになったのです」
麗花は、そんな自分を想い出したのか、悲しそうに顔を歪めた。
 
「でも、その病院を辞めて、他に移ってからは逆で、もう二人は自由に会っていました。
 以前は精神を癒す添い寝でしたが、もう二人は全身全霊が愛で充満して、弾けていたんです。
 ええ、私たちのSEXは、男と女の本能が剥き出しで、燃え尽きるほどに愛を感じ合っていたんです。
 先生は、こんなに優しくて、何度も何度も愛撫をしてくれるなんて、って・・。
 しかも、我慢が出来ずに突き上がり、しびれるほどに感じるなんて、初めてだって。それから、騎乗位で激しく狂う女も初めてだって・・。
 インテリの奥様には、男女の交わりも、歓びも知らなかったんでしょう。
 ええ、セックスって、身も心も、全人格を一体化することなんですね。だから、愛は昇りつめるのです。その絶頂に愛があるのです」
「おお、哲学的になってきたなぁ」
――しかし、こんな大胆な発言、いいのかな。
  セックスの絶頂に愛があるんだって・・、達観してるよ。
 この上気した麗花は、もう恍惚として、いかにも満足気だよ。
.
「ええ、私たちの精神に巣食っていたトラウマ、あの魔物も、もはや燃え尽きていたのです」
「そうか。僕は、そんな世界は知らないけどさ」
「それは、あなたが平和な家庭に育って、心には闇がないからですよ。それが、育ちの良さなんです」
「そうか。体育系はダメだね。大雑把で、繊細さがないな」
「いいえ、梅里さんは、根っからの優しい人ですよ」
「僕らは、目的志向だから、目標が設定されると、もうガムシャラに突進するだけでね。脇目も振らないから、隣の人に気配りもしない。そうか・・だから女房とはギャップがあるのかな」
「でも、感性の違いは、女同士でもありますよ」
そこで二人の会話は止まってしまった。
――それにしても、この女は、やってることが極端だな。
  狂ってるかも・・。
  しかも、他人のオレにカミングアウトして、
  その度に、喜怒哀楽の落差が大きすぎるよ。
  ああ、危ない。要注意だな。 
 
「しかし、時には中学生に見える女の子が、そんなに大胆だなんて」
「ウッフ、驚きました」
「そりゃあそうだよ。すごいテクの持ち主みたいでさ」
「私、実は調教されたんです。ヤバイ男と付き合って、1ヶ月間、毎日がセックス漬けでした。あれは、去年の春だったかな」
「ヘエー、そうか。でも、なんでまた」
「ええ、私、すごい落ち込んでいた時に、偶然、アイツと出逢って、すごい優しくされたんです」
 麗花は、その男を懐かしむように、微笑みを浮かべていた。
「それだけなんです。ええ、そっとハグしてくれて、頭を撫ぜてくれました。私、もうそれだけでよかったんです。なにを失おうとも、なにも得られなくても、って・・」
「優しさって、そんなに意味があるのかな」
「ええ、求める者にとっては、ですね。でも本当に、アイツは優しかったんです。父親の優しさって、きっとこんな感じなんだなって、そんな夢を見ていたんです」
 麗花は、夢心地で語っていたが、一瞬、笑顔を梅里に向けた。
「とにかくお人好しで、面倒見が良くて、でも、ぐうたらでした。気が小さくて、いつもオドオドしていましたから・・。ええ、シャブやって、女を従わせていたんです」
「エエーッ、そんな男か」
――ああ、また新しい暴露ネタが出て来たよ。
  この女の体験は、大胆で、すごいな。
「それで、その男は若いの」
「いいえ、40代かな。ある日、友達の保証人になったら焦げ付いて、借金になったからお金を貸せ、って。でも、私、ないものはないって断ったんです。そしたら何日かして、突然、シャブをやれって・・。でも、私は知っていたの。その以前に男と一緒に暮らしてた女が、借金を背負わされて売られたのを。シャブ漬けにされて、闇に消されたんです。だから、私は消えたの」
「それってヤバイよね」
「ええ、十代の最後に、地獄と極楽を見てきました」
――なんという世界に嵌ったんだ。
  見た目は可愛らしいのに、したたかに乗り越えてきたんだ。
  こんな全く異常な女、化け物みたいな感性だよ。
  これで精神が病んでるのかな。
  それとも、病んでる証拠なのか・・。
 
「でも、先生との関係には、二度目の地獄が待っていたんです」
「エエッ、どういうこと」
「ええ、だれよりも愛していた先生が、突然言い出したんです。
『もう止めよう。別れよう』って。
私、エエッて、いきなり気が飛んで、体がヘナヘナッとして生気が抜けました。
『このままだと二人は爆発して、君も僕も壊れて、この世から消えてしまう』
 思いもしない言葉に、私は、言いました。
『私、壊れてもいいんです。一緒にいることが、二人を支えてきたんです。だから、生きる活力になったのです』って。
 『でも、破滅の道だ。僕らは幻想の世界に嵌ってる。悪魔に魂を売ったんだ。
 今なら正常な世界に戻れる。君は、未来をエンジョイできるんだ』って。
 でも、そんなのはウソだ、って言いました。
 だって、貴方のいない未来には、光がないから、って・・」
 麗花はテーブルの一点を見つめたまま、また鼻にハンカチを押し当てて、ヒクヒクしていた。
 
「私、先生の奥様からなら、なにを言われても我慢できました。でも、でもまさか、先生、本人がって、信じられなかったの・・。そうよ。私、耐えられなかったのよ。だって、そうでしょう。
 私、空っぽの暗闇に、また投げ出されるのよ。
 ワァー、イヤァー、私、ソンナノ、イヤァ−、イヤァ−・・」
 麗花は感極まって、突然、大声で絶叫した。
 見れば、両手の拳を強く握り締めて、全身を震わせている。
 目を吊り上げて、歯を喰いしばった鬼の形相には、必死な思いが凝縮されていた。
 梅里は、突然、爆発した信じがたい絶叫に、なにが起きたんだと、気が動転してしまった。
 店には、もう客はいなかったが、マスターも驚いてジッと様子を窺っていた。
――この子は、まだ二十歳なのに、すごい体験をしているんだ。
  天使だと思ったけど、この絶叫はなんだ。
  これは、心の奥底からの叫びだよ。
  天国と地獄を見て来たと言ったな。
  きっと、そんな自分を、誰かにぶちまけたかったんだ。
  それが、このオレかもしれない。
  生きる中で、全身全霊で立ち向かった自分、
  そして、積りに積もった不条理、
  そんな屈辱を発散しないと、その重みに耐えきれなかったんだよ。
  アア・・、これからこの天使は、どこへ飛んでいくのかな。
 
 梅里は、麗花の様子をジッと伺いながら、次はなにかと身構えていた。
 だが、放心したままの麗花は、目線がどこを見ているのか、その焦点が定まっていなかった。
「ごめんなさい。大きな声を出して」
「うん、いや、いいんだ。感じたよ。麗花は、それほど必死だったんだ。命を掛けていたんだろうよ」
 麗花は小さくうなずくと、別のハンカチをバッグから取り出して、そっと泪を拭いた。
そして、身を縮めたまま、もう冷静さを取り戻していた。
マスターが、ずっとカウンターの奥から心配そうに見ていた。
――空っぽの暗い闇、か。
  恐怖の闇は、オレにはわからないけど・・。
  心が傷つき、精神が病んだ者には、耐え難い絶望、なんだろうな。
  だからこその絶叫なんだ。
  それって、追い詰められたネズミの、あの狂気の悪あがきだよ。
  心根が優しいほどに、ブチ切れた時の変貌が極端に出るのかも・・。
  それにしても、今の絶叫はなんだ。
 瞬間的に昂ぶった麗花の激情も、収まってしまえば、店中も静まり返ってしまった。
 
「ええ、私・・」
 しばらくして、麗花は気が静まったのか、しんみりと話し出した。
「あとは、薬を飲むしかなかったんです。ええ、地獄のドン詰まりで閻魔大王に会ってきました。
 そして二日後、眼が覚めたら、母がいたんです。もう一回、やり直せって、神さまから命じられたんでしょうね」
 麗花は、もう穏やかな顔に戻っていた。
――そうか。やっと話が繋がってきたよ。
  やっぱり、誰かに、自分の本心をぶち撒けてみたかったんだ。
「私、悪いことをしたとは思っていません。でも、もし先生を略奪したら、先生の家庭は破壊していたでしょう。だから、あれでよかったんです」
 麗花は、自分に言い聞かすようにうなずいた。
「母は自分のことを語りませんが、母に似ていたのかも、って・・。なぜなら、私のしたことには、全くノーコメントでしたから・・」
 麗花は、テーブルのグラスを見詰めたまま、自分のことを語っていた。
「でも、母が父に寄せる思い、その生き様、そんな本心を私は知りたいんです。
 もしかして、自分で考え、自分で責任を取りなさい、って、そう言っているのかもしれませんけど・・。
 ええ、あれは自分の意思でした。だから被害者ではないし、少しも後悔はしていません」
 そう言うと、またポロッと一筋、泪をこぼした。
――ああ、深い悲しみを秘めた泪、蒼く澄んだ透明な泪、
  天使のように振舞ってはいても、
  麗花の心の奥底は、≪空っぽの暗闇≫なんだろうな。
  そんな地下の洞窟を潤すのは、
  そう、苦悩から搾り出した蒼い泪、かもしれない。
 そんな打ちひしがれた麗花を見て、梅里はそっと抱いて肩をなぜてやりたいと思った。
 
「梅里さん、私が結婚したいのは誰か、判りますか」
「エッ、いやぁ、見当もつかないな」
「あのピサハウスの、ソムリエ志望のケイ君」
「ああ、そう言うことか・・」
――たぶん、麗花は、オレが気になる存在なんだよ。
  それで、結婚の気持がズレそうなんだ。
  だから、メルセデスには出入り禁止なのかも・・。
  だって、オレには女房、子供がいるんだよ。
  年の差もあるし、対象外だろぅ。
  アッ、でも、既婚者の医者を愛しちゃったんだ。
「彼は、見た通り地味で、もてないタイプですけど、でも、真面目なんです。目標を持って一生懸命だし、浮気はしなさそうだから。ええ、性格も似てるかなって」
「そうか、それはいいことだよ」
「梅里さんに比べたら、レベルは数段も下ですよ。でも私、結婚したいんです」
「そうか。そういう意味では、僕は既婚者だから、無資格だよな」
――ああ、やっと話が繋がって、全貌が見えてきたよ。
  この子は、即断即決で、失敗を恐れない行動派なんだ。
 
  [ 5 ]
 それから1年後のことだった。
 ある休日、ゴルフの帰りに、梅里は、藤沢駅・南口のオーパの前にいた。
 そこは人々が行き交い、夕暮れ時の賑わいがあった。
 梅里は入口の花屋で、春を感じさせる花はないかと物色していた。
 店頭には、色とりどりの切り花や鉢物が華やかさを演出して、盛りだくさんに飾られていた。
 鮮やかな花のヒヤシンスやチューリップもあったが、外来種の温室育ちは、どうも梅里の好みではなかった。
 
 ふと、駅のほうを見た梅里は、ドキッとした。
 人の流れに混じって、ひときわ目立つ美人が見えたのだ。
 驚いたというよりも、眼に飛び込んできた女のオーラが、心臓に突き刺さった、そんな衝撃だった。
 目鼻立ちが整っているだけではなかった。知的で、いかにも聡明な女、そんな崇高ささえ感じさせる女性だった。
――あぁぁ、絶世の美女だな。
  気品があるから、宮家の血を引いてるのかも・・。
 多い髪をショートカットにして、その小顔には、宝塚ガールのボーイッシュなさっぱり感が出ていた。
 ただ、すれ違いざまに、白髪がはっきりと見えて、微妙なゴマ塩交じりだったのには、ホッとするものを感じた。
――エッ、もしかしてあのコート、
  シルバー・フォックスでは・・。
ふと思い当った梅里は、あわてて振り向いて、後姿を追った。
――あぁぁ、そうだよ。間違いない。
見れば、女性の左側に、ポニーテールの痩せた女の子が跳ねていた。
――やっぱり、麗花だ。
 美人の女性に目を奪われて、親子の二人連れだとは気付かなかった。ましてや隣に麗花がいたなんて、思いもしなかったのだ。
――ああ、親子で楽しい話でも、しているんだろうな。
 腕を組んだ麗花は、飛ぶように軽ろやかに弾んでいた。その後姿は、まるで羽根のついた天使のように、舞っていたのだ。
 
 梅里は、無意識にフウッと息を吐いた。
――久々に会えた麗花の顔を、見たかったなぁ。
  今日はどんな顔、どんな変身をしていたんだろう。
  大声で泣きわめいたあの顔、あの絶叫は必死だったな。
  そう、あんな心の底から絞り出した悲痛な叫びは、
  誰かにぶつけたかったんだよ。
  あれから、結婚したのかな。
 
 だが梅里は、麗花が母親にはまったく似ていないのに、ふと気がついた。
――あのふっくらした顔の麗花は、きっと父親似なんだろう。
  女の子は、父親の血を引くって言うから。
  そういえば、あの『第三の男』は、どうなったのかな。
  不在で、不明の父親。
  エエッ、もしかして麗花って、名前は麗華ではないのか。
  だって、そういう中国人の女性を知ってるよ。
  父親は、もしかして歴史に消えた人物、誇り高き民族の末裔、
  そうか、インディオたちの演奏を聞いて、
  ポツリと、『物悲しいですね』って言った麗花、
  あの時、麗花のくぐもった表情に、
  言い知れぬ悲しい思いが、浮かんでいたのかも・・。
  でもさ、まあいいか。
  あんなに聡明な母親がいて、共々、幸せに生きているなら。 
 
 ふと振り返った梅里の眼には、華やかさを競い合う色とりどりの花たちが飛び込んできた。
 赤やピンクのベコニアに似た花が、花壇の鉢から盛りだくさんにあふれ出していた。
 新緑の枝先に黄色い花が映えるエニシダなどもあって、改めてよく見ると、様々に個性があって、どの花も欲しくなった。
  ≪ホワイト・デーのプレゼントに≫
 さっきは気がつかなかったが、ウインドーに張られた漫画文字のプレートが眼に入った。
――そうだ。今日は、娘の誕生日なんだよ。
  優花も、この春から中学生だからな。
  仕事が超多忙だったとは言え、親の務めはしてないし・・。
  そうだ。優花の花だよ。
  娘に合うイメージ、そう、テーマは≪優しい花≫で探してみるか。
  生まれた時に、名前は漠然とつけたけど、
  ≪この花が優花だ≫って、特定はしてないからな。
  今晩の食卓は、この話題で盛り上げるか。
  エッ、そうなら、そう、麗花って・・。
  そうだよ。あの天使は、どんな花が似合うんだ。
  少女の可憐さと、セクシーな女の妖艶さと、
  時々に変貌して、様々に大胆な顔を見せる、そんな不思議な女だったな。
 
                              ーー おわり ーー
 
 
 





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