□山野草の展示会□
先週の日曜日、伊勢原の山野草の展示会な行ってきました。 確か、団体名は≪弘法山・山野草の会≫だったと思いますが、不確かで、すみません。
≪写真・左・・トキソウ≫
≪写真・中・・ヤブレガサ≫ ご覧の通り、姿がまるで破れた傘のように見えるので、付いた名前でしょう。 普通は、葉の全体が緑色ですが、これは薄い赤や白が混じった珍品です。
≪写真・右・・スズムシソウ≫ 少し見ずらいのですが、ひとつひとつの花の姿が、鈴虫に似ているのです。
[男と女の風景 58−2]
○ハートの中を見たい○
その週末、横浜駅の西口から近いベイシェラトンで、真知子は根岸と食事をすることになっていた。 真知子には、根岸がかつて出会ったことがない特異な人物に思えて、彼の生まれや育ちを知りたかった。 しかも、今のライフスタイルが漠然としていただけに、聞き役に回って、彼に自分を語らせようと目論んでいた。 今日の根岸は、明るいグレーのスーツを着ていた。 それは細かいヘリンボーンの織り柄で、黒地に白い花柄のネクタイが、程よいコントラストを演出して、上品さをかもし出していた。
根岸は調べていたのだろう、鉄板焼のステーキ・ハウスに案内した。 すると、赤ワインをボトルで注文した。真知子がお酒に強いのを知っていたから、今宵はゆったりとした気分で飲みたかった。 しかも根岸は、メニューを見ながら、ワインの産地や醸造された年代も確認していた。だから、ワインの値段も高いのだろう。 ボトルが運ばれてきて、さっそく二人はにこやかに乾杯た。
それから、ワインの酔いも進んだ頃、真知子は切り出した。 「私、外国は行ったことがありませんし、ましてや、フランスなんて知らないんです」 「そうですか。どこも住めば都ですけど、パリの郊外はクルマで1時間も走ると、もうそこは大木に囲まれた森の公園です。そんな緑の風情にある小さなお城、それが我が家でした」 「まぁ、素敵ですね」 「母は、ガーデニングの土いじりが大好きでした。花壇には花が咲き乱れていて、特にバラが豊富でした」 「なにか想像するだけでも、メルヘンですね」 真知子はワイン・グラスを手にして、お城の家を想像しながら、根岸に見入っていた。 目の前で焼く鉄板ステーキは久しぶりだったが、A5ランクの牛は素材の良さだけではなくて、火の入り具合が程々で美味しかった。
「ええ、祖父は、在パリの日本大使も勤めた外交官で、フランス人の画家の娘と結婚したのです」 根岸はそう言うと、ワインを飲み干した。それを見て、ボーイがサッと来ると、ボトルを持って注いだ。 「その息子、私の父ですが、単身で日本にいて、大学を出ると外交官になりました。そして、父と同様、フランス人の母と結婚したのです」 「まぁ、それも素晴らしいですね」 「その後、僕が高校生になる時、父が日本に帰国することになって、私も私立の高校から大学に進みました」 根岸は、思い出したかのように、フォークでステーキを頬ばった。 「でも僕は、お堅い外交官ではなくて、もっと自由な存在でいかったのです。母の教会巡り、それはスペインやイギリス、さらにはドイツから東ヨーロッパの果てまででした」 「ほぅ、あなたもご一緒に」 「ええ、学校が休みの時だけでしたが」 根岸は弁舌が爽やかになってきて、ワインをグィッと飲むと、目を輝かせて続けた。 「でも、そのお陰で、キリスト教文化のなんたるかを、知りました。宗教が社会の規範となって、人々の幸福を支配していたんです] 「宗教が、幸福を支配、ですか」 「ええ。私は、母のマインドを受け継ぎました。でも、キリスト教の文化では異端児だったのです。わかりますか。彼等には、神は絶対であり、神にすがり、神に祈れば救われるのです」 「ええ、それが信仰心ですよね」 「でも僕は、なぜか、神が支配するのを受け入れられなかった。ええ、異端の心境にいたのです。それは、父から受け継いだ日本人の侍魂でした」 「そうですか。心の拠り所という意味では、武家社会の武士道も信仰なんですかね」 真知子は、堂々と自論を展開する根岸に、一貫したなにかがあるなと思った。 ――善悪は別として、この人には生きる哲学があるよ。 そのマインドって、尊敬できるな。 それがなにかは、まだ見えないけどね。
「お住まいは、東京でしょ。それが、なぜ、鵠沼なんですか」 「ええ、週末に帰る別荘です」 「それはまた、優雅ですね」 「実は、父が胃ガンで入院した時、病室に家族を集めまして、家族会議を開いたんです。もう、長くはないから、遺産相続のことで話がしたいと」 込み入った話になってきて、真知子はさりげなくフォークを取ると、ステーキに手を伸ばした。 「その時、僕は、目黒の実家は、結婚していた妹夫婦に譲ると言いました。僕は独身だから、近くでマンションを買えばいいし、鵠沼の別荘でいいと」 真知子は、さらにグラスを取ると、白い調理服のコックを見ながら、ワインを飲んだ。 「ただし、目黒は数億円の資産価値があるだろうから、相続税は妹が払うこと。それから、実家の裏庭で建築中の展示館は、父の夢であるから、僕が実現して、一般公開する。だから、土蔵の蔵と展示館の土地、それと建物は僕の名義にする。そして、母屋にある美術品は全部、展示のために提供してもらう」 そこで根岸は、浮かぬ顔をした真知子に気づいた。 「こんな話、興味ないですかね」 「いえ、私には別世界なんで、驚いたり、面白かったりで」
根岸はまた、真知子の様子を伺いながら、ワインに手を伸ばした。 「実はですね、父の家系は前園藩の江戸家老でした。しかし、明治になって士族は皆、没落したんです」 「そうですよね」 「ただ、母の家系は、代々、茶道の家元でして、茶道具や茶器、陶器の収集で有名でした。そのお陰で、茶道で親しかった時の宰相に救われて、屋敷が残り、蔵が残ったのです」 「まぁ」 「父は、根岸コレクションはオマエに後継を頼むと言って、妹夫婦にその条件でどうだ、と確認しました。妹は、それでいいと承諾しました」 「茶道といえば千利休、でよね」 「ええ、母の家系は、その弟子の末裔で、安土桃山の名品もあります。さらに、祖母がパリ時代に収集した絵画には、無名だった頃のピカソやルノアールの絵もあります」 「ほぅ、すごいコレクションですね」 「ええ。しかも、ナポレオン時代のお宝もありましてね。父は、埋もれたままの名品を、是非とも展示したかったのです」 ――そうか。やっぱり生活水準が、段違いで違うんだな。 そう。世の中には、こういう人もいるんだよね。 「だって、預金や株式を売って現金化できるお金は、億を越えていましたから。母が最後に入院するまで、僕は一緒に住んでいたんで、母の貯金も引き継ぎましたし」 ――この人は、別次元の人だよ。 あぁあ、もうワインで酔って、今の話を忘れるしかないか。 真知子は、グラスをグイッと空けると、お代わりを頼んだ。 今日は聞き役と決めていた真知子だったが、余りにも違う世界に圧倒されてしまい、気分はしらけていた。 ――こんな人とは、もう付き合えないよ。 なんか、自分が惨めでさ。 まぁ、仕方がないけどね。
それから、ボトルが空いたところで、帰ることにした。 ベイシェラトンを出て横浜駅に着くまでも、湘南電車に乗ってからも、真知子は固まったまま言葉を発しなかった。 根岸は気分を損ねたかと、気を揉んで何度か話しかけた。 確かに、喋りすぎたかなと反省はしたが、どうしてもお互いの白々しい雰囲気は変えられなかった。 それから、根岸は藤沢駅で下りる時、「気分を害してごめんなさい」と謝った。それで仕方なく、真知子は手を差し出すと、弱々しく握手をして別れた。 ところが、突然、予定が狂った。 自宅のある茅ヶ崎駅に着いた時、真知子はホームの反対側に上りの電車を見て、とっさにその電車に乗り換えた。 なぜか、このままでは帰りたくないと、反射的に思ったのだ。 ――このウジウジした気分は、飲み直さないと消せないよ。 でもね、彼はなにも悪くないのよ。 ただ、庶民の私が、勝手にひねくれてるだけよ。
真知子は、重たい足で駅からトボトボと歩いて、バンブーにやっとたどり着いた。 ドアを開けると、週末もあって、カウンターは満席だった。 仕方なく帰ろうとした時、ふと、直ぐ近くの低いテーブルに根岸がいるのに気づいた。 彼も、真知子の突然の出現に「アーッ」と驚いて、見詰めるだけだった。 まさか、ここで再会するなんて、ありえないことだった。 だって、つい今しがた、二人で握手をして別れて、お互いが電車のドアの向こう側にいたのだから。 だが今は、お互いに、気分が不愉快なままでは飲まずにはいられない、そんな気まずさが露見していた 真知子は、悲しげに顔を歪めると、テーブル席に座った。 「ごめんなさい。謝るのは私のほうです」 神妙な声で言うと、丁寧に深々と頭を下げた。 「私には庶民感覚しかなくて、根岸さんとの生活レベルのギャップに、ショックを受けたんです」 「いいえ、僕は自分を知ってもらいたい一心で、喋りすぎたんです」 ――あぁ、この人は、自分が悪い思って謝った。 そんな必要はないのにね。 この人は、なんと謙虚で優しいんだろぅ。 状況を察したママが、グラスを持って割って入ってきた。 すると、あえて「このボトルでいいですか」と根岸に聞きながら、もう水割りを作っていた。 それから二人は、すまなそうに会釈すると、そっと乾杯した。 ――なにか、辛い思いをさせてしまったな。ごめんなさい。 私って、一旦、固まると、気持を変えるのが大変なの。
「そうだ。来週の土曜日、僕の手作りランチをご馳走しますので、鵠沼に来られませんか」 「えっ、あの噂の別荘に、ですか」 「ええ、実は、その前の日の金曜日に、アランという友人がパリから来るんです。それで、ランチをご一緒に、と」 そんな会話で、真知子の固まった気持は解き放たれていた。 「その方って」 「ええ、パリの絵描きで大学教授です。子供の頃からの友達でしてね。僕と同じ年で、同じ独身。物静かな育ちのいい男です」 「そんな場面に、私ごときが、いいんですか」 「ええ、彼は日本の女性が神秘的に見えるらしくて、好みなんです。特にあなたみたいな知的な女性には、感動するでしょう」 「お上手ですね」 「いえいえ、思ったままですよ」 根岸は、照れ臭そうに手を振って否定した。 それを見た真知子は、もう屈託なく笑い出して、打ち解けていた。
次の週の土曜日、真知子が小田急の鵠沼根岸駅に下りると、改札口で、根岸とアランがにこやかに出迎えてくれた。 直ぐに握手を交わして、お互いに名乗った。 アランはブロンズの髪に、もっこりとしたヒゲを蓄えていた。茶色の縁のメガネ越しに、優しそうな目が見詰めている。 見るからに温和で、学者肌の物静かな男だった。 ところが、根岸はなんと、ジーンズにビンクのシャツだった。考えてみれば休日だから、あの黒い喪服でないのは当然だったのだ。 それから歩くこと七分、どうやら海岸に向かっているようだ。
「ここが、我が家です」 そう言われたのは、赤いレンガの壁に、鉄のフェンスで囲まれた白い洋館だった。 入口の角には三角形の切れ込みがあって、頑丈な鉄の扉がアーチ型に聳え立っていた。 門を入ると、直ぐ左に片開きの屋根が付いた駐車場があり、ベンツが止まっていた。 そして、芝生の庭には太い巨木が一本、デーンと生い茂っていて、その日陰が涼しさを感じさせた。 [ワァー、この木はすごいですね] 太い幹には、古木のくねったクセがあった。 「これは栃の木ですが、フランスではマロニエです。春にこんもりと盛り上がった薄紫の花が咲いて、秋には栗に似た実が成ります」 「ホー、これがですか。かなりすごいですね」 「ええ、これは樹齢150年位いですかね。直ぐに大木になるので、5年毎に植木職人にカットしてもらってます」 木陰は陽がささないためか、真下の芝生は消えかかっていた。
「冬には落葉しますので、このロッキングチェアーで、のんびりと本など読んでいます。夜にはライトアップして、ここでワインなんてね] 「イャァ、ロマンチックですね」 「ええ。私の前にどんな女性が現れて、もうひとつの椅子にどんな人が座ってくれるのか、って、もう何年もドキドキしています。」 見ると、椅子が二つあり、真ん中に小さな丸テーブルがあった。 「どうですか。ここに座ってくれませんか」 「エッ、私が」 「ええ、あなたがです」 根岸は、さりげなくプロポーズをしたつもりだったが、単なるシャレとしか受け取られなかった。 「こう、やってですか」 真知子は、恐る恐る座った。 ふと見上げれば、栃の木の大きな葉の緑が、一面に覆い被さってきた。 ――ああ、いい気分だね。 この揺れるのが、子供の頃の夢を誘ってるよ。 そう、目をつぶるとメルヘンの世界だね。 浮かぶ景色はノールウェイの森、妖精に出会える場所、かな。
正門の鉄の扉から玄関に続く小道は、磨かれた白い大理石が敷き詰められている。 その白さが周囲の緑の中に浮かびあがって、客人を家に招いているようで、そんな造りに家主の気持が感じられた。 二階建ての洋館は中央に玄関があり、左の南側に白く太い柱と手摺りの付いたベランダが見えた。 玄関へは三段の石段があり、それを上がると、レンガ敷きのベランダには丸いテーブルと椅子があった。 ティタイムでくつろぐ時は、庭を眺めながら自分を癒すのだろう。 改めて見回すと、庭にそびえるマロニエの大木が、いかにも当家のシンボル然として構えていた。
ステンドグラスが嵌め込まれた重厚な扉を開けると、外からの木漏れ日がエントランスに広がっている。 真知子はなぜか厳粛な気持になっていたが、木漏れ日の明かりが柔らかく包んでくれて、ほっとした。 正面の奥には二階に上がる階段があり、廊下の左右には厚い木の扉が並んでいる。 「左側が応接間と書斎で、右の北側には食道と厨房があります。トイレは階段の両側で、二階は寝室になります」 根岸は、家の間取りを簡単に説明すると、「どうぞ」と食堂に案内した。 そこには、白いテーブルクロスにグラスや食器類と、スライスしたフランスパンが、すでに三人分、用意されていた。 ホスト席には、赤ワインのボトルが置かれている。
根岸は、さっそく白い前掛けを締めると、厨房に入っていった。 「お手伝いしましょうか」 真知子が声をかけたが、「お任せ下さい」との返事だった。 庭が見渡せる窓が並んでいて、真知子はそれを見上げていって、ふと天井が高いのに気づいた。 すると、チーズが乗ったサラダが運ばれてきて、次に白い大き目の深皿が出てきた。 「えっ、これなんですか。まさかシチュー」 「ええ、牛タンの煮込みです」 「ワァッ、これ根岸さんが作られたの」 「ええ、朝から三時間、煮込んでます」 真知子は、呆気に取られて見入っていた。 根岸はボトルを開けて、ワインを二人に注いでやると、グラスを掲げた。 「それでは皆さんの幸せと健康を祈って、乾杯しましょう」 真知子は、シチューを早く味わいたかったが、サラダから先に手を出した。
ふと、真知子はアランの視線を感じた。 アランは窓を背にしていたから、逆光でよくは見えなかった。だが、じっと見られていたような気がした。 根岸も気になったのか、時折、アランに視線を送っていた。 「マァー、このシチュー、美味しい。タンが柔らかくて、この煮込み具合がいいし、赤ワインの酸味も利いてますね」 やっとありつけたシチューに、真知子は目を輝かせた。 ニンジンやしいたけも、濃厚な程よいスープに助けられて、美味しかった。 「根岸さん、あなた、レストランのシェフですよ」 「いえ、自分流でして」 根岸は一応、謙遜はしたが、褒められた嬉しさで、思わず自慢げに親指を突き上げた。 すると、アランが根岸になにやら耳打ちをした。 それを聞いた根岸は、大きな目を見開いて驚くと「ノン、ノン」と叫んだ。 「エッ、なんですか」 「いやいや、なんでもないです」 なんとも変な耳打ちに、真知子が聞くと、根岸はあわてて手を振って打ち消した。
――ああ、こんな優雅なランチ、初めてだよね。 そう、素敵な庭付きの洋館で、しかも手作りのタンシチューなんて。 さらには、ですよ。 素敵な男性に囲まれてる、なんてね。 真知子は、なんとも言い難いほどに気分が満たされて、至福の時間を満喫していた。 すると、またアランが根岸に話しかけたが、フランス語だったために真知子にはわからなかった。 それからも、二人の会話は続いて、次第にエスカレートしてきた。 「ねえ、根岸さん、私もいるんですから、二人の話は翻訳してくれないと」 「イャー、とても言えないですよ」 「それって、失礼ではないですか」 真知子は、わざとふくれっ面をして、怒ったようにすねた。 「ああ、困ったな。恥ずかしいですよ」 「なぜですか。エッチな話ですか」 「あぁぁ、いいえ」
根岸は本当に困ったように、真知子を見ては目を泳がせていた。 「根岸さん、私も仲間に入れてくださいよ」 「あぁぁ、仕方がないな」 根岸は、本当に困惑したように話し出した。 「あの、実はですね、アランがあなたに一目惚れしたんで、プロポーズしていいかって、僕に聞くんですよ。それで、僕はダメだと言ったんです」 「あら、なぜですか」 「僕のほうが優先権があるって、言ったんです」 「まぁ、本当ですか」 「ええ。すると、なぜまだしてないんだと聞くから、実はタイミングを見計っているんだ、って」 「まぁ、驚きましたね」 真知子は、まさかの展開に、本当に驚いていた。 二人の男が、たとえフランス語だとはいえ、本人の目の前でそんな会話をするなんて、信じられなかった。 「でも真知子さん、今、僕はあなたにプロポーズしたんですが、真知子さんはどうですか」 「ウワァー、幸せは突然来るんですね」 意図に気づいた真知子は、思わず叫ぶとガッツポーズをして飛び上がった。 「それでは、Okですか」 「あっ、いえ」 真知子は、一瞬、間を取った。 「すみません。時間を下さい。あまりにも突然すぎて、冷静に考えてみたいんです」 じっと事の成り行きを見ていたアランは、ガックリと肩を落として落胆していた。 アランには、日本語がわからなかったがけど真知子が飛び上がって喜んだのは、根岸が告白して、真知子が受け入れたと思ったのだ。 だが、アランは諦めてはいなかった。
「ええ、私、こんなメルヘンの家に住めるなんて、夢ですけど」 真知子は突然、身を引き締めると、真顔になった。 「でも私、根岸さんに言うべきことが、あるんです」 「さて、なんでしょう」 根岸は軽く受け止めたように装ったが、内心では、緊張して構えていた。 「お二人とも、ハートが優しくって包容力もあって、人間性も豊かだし、私には尊敬できる方です。でも、文化レベルが、違い過ぎるのです」 「はぁ、それだけですか」 根岸は、想定内の話だと、悠然と構えていたが、ここはさらに追求すべきだと、意を決した。 「真知子さん、僕は、あなたのハートの中が見たいんです」 「えっ・・」 真知子は虚を突かれて、そう言ったきり、黙って根岸を睨みつけていた。
だが真知子は、事実を言うべきかどうか、迷っていた。 しかし、ここで言葉を濁したり、この場から逃げるのは、後悔するだろうし、良くないと思った。 「ええ、実は私が独身なのは、離婚したからです。私には中学生の娘がいて、母と三人で暮らしています。だから、二人と別れて暮らすことなど出来ないし、だから結婚も出来ないんです」 「それが、理由ですね。わかりました」 やっと核心に触れてきたなと、根岸は真剣に考え始めた。 だが、真知子は独り、自問自答していた。 ――これは、今の自分を正直に言っただけだよね。 決して、駆け引きなんかじゃないよね。 だって、生活や文化のレベル差に、本当に惨めな思いをしたのよ。 だから、私はあの世界では暮らせない、って。 すると、それを見ていたアランが、口を挟んだ。どうやら、今の会話の内容を聞きたかったようだ。 根岸は、アランに説明している。 アランと話していた根岸が、真知子に振り向いた。 「真知子さん、アランが言うには、そういう女性はいっぱいいるし、結婚の障害にはならない、って。僕も同じ意見ですよ」 「でも、私は今の三人の暮らしを、壊したくないの」 根岸は、その旨をアランに伝えた。 「アランは、このままパリに連れて帰りたいほどだ、って。経済的な援助はするから、二人で暮らしたいと」 「それはとてもムリよ」 真知子は首を振ると、アランに向かって両手を交差してバツ印を見せた。 「それでは真知子さん、この別荘で、四人で暮らしませんか」 「エェッ、まさか、そんなことアリですか」 根岸は、口を真一文字に結んで、自信ありげにうなづいている。 「僕は初めてのプロポーズだし、結婚のなんたるかを知りません。でも、あなたと一緒に、暮らしたい」 真知子には、久々に聞く甘い言葉だった。気持が舞い上がっていくような、嬉しさが全身に充満していくのがわかった。 だが、ふと前の亭主を思い出した。彼からも、甘い言葉を聞いたのだ。 「真知子さん、あなたは博物館に勤める文芸部員だから、うちの山岸美術館の館長になってもらいたい。私と二人で運営して、コレクションの管理を頼みたいんです」
臆病な真知子は、未だ迷っていた。 余りにもハッピー過ぎて、またどこかに落とし穴が隠れていないかと、警戒していたのだ。。 「でも、背後霊がうるさいんですよ」 「いいえ。あなたのお父さんは安心して、もう退散していますよね」 「あっ、そうでしたね。あなたにも、見えるんですよね」 真知子には、もう弁解する言葉は残っていなかった。 ――ああ、お父さん、こんな大事な時に、なぜ忠告をしてくれないの。 以前は、うるさいほどだったのに。 あぁ、こんなマロニエの庭って、たまらないのよね。 そう、こんな安らぎに浸れるなんて、さ。 一生、ここで夢を見ていたいけどね。 そうだ。副館長の白川さんに相談してみよう。 あの白髪の尊敬する人は、なんと言うだろうかな。 でも、『最後に決断するのは君だよ』って、きっと言うだろうな。
― おしまい ―
― 筆者後記―
皆さん、この作品が、こんな展開になるなんて、自分でも想定していませんでした。 最初の1ページは、そんな霊が見える女性がいたな、って、思い出しただけで、書き出したのです。 その現象は事実ですが、書かれた人物は全く別人です。
そして「ハートの中を見たい」と決めたのは、続編の構想がない段階でした。でも、それなりに、意味ある言葉として使えました。 三流小説ですが、いつまでも読んで下さる方がいるから、私も頑張れるんだと、感謝しています。 本当に、有難うございます。
また来週も、アドリブのひらめきで苦悶します。 今後とも、宜しく。 橘川 拝
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