OCCED JAPAN

ネパールの孤児院に日本からの募金を寄付しています。その他、ネパール関連のイベントに参加したり、 孤児院支援のための策を練っています。孤児院には15歳までの子供たちが常に36人弱います。すべてボランティアだけで運営しているので、大変です。一度でも結構ですから愛の手やアイデアをお願いします。
 
2017/05/28 12:42:53|活動内容
地震から2年

地震から丸2年が経ちました。

あの時、ペルーに行く途中でした。乗り継ぎのアメリカでニュースを聞いて真っ青になりました。OCCEDとは連絡できませんでした。親しいネパール人の友人たちに連絡するもほとんど繋がりません。唯一、Aからだけはすぐにメールが来てみんな大丈夫とのことでした。

 

そして私はペルーへ。相変わらずA以外の状況は全くわからず、非常に心配しました。そしてまもなく余震。これは最初の地震よりさらに大きかったのです。Aどころか誰にももう繋がりません。メールも電話もViberも、ありとあらゆる連絡の手段を使いましたが、何もわかりません。

 

毎日、ペルーから電話をし続けました。ペルーはネパールと同様の山国で標高差もあります。それなのにほとんど眠れず、くたくたでした。帰国の前日、OCCEDの理事とついに連絡が取れました。避難生活をしているという簡単な連絡でしたが、生存が確認できて心からほっとしました。

そして私は帰国の途につきました。乗り継ぎのアメリカでAからメールが来て、大丈夫だ、とのこと。安堵の気持ちが溢れてどうにもならなくなり、公衆の面前で安堵の涙が止まらなくなりました。幸い、アメリカではアジア人が一人でひっそりと泣いていても誰も気がつかないようでした。

それでもAからのメールでは家族の誰が大丈夫なのかわかりません。OCCEDの理事と繋がったのも一度だけ。OCCEDの子どもたちの状況はわからないまま。

 

帰国したのは地震から9日後だったと思います。その頃からだんだん状況がわかってきました。Facebookでは安否情報の配信を始めました。知っている人の安否をFacebookに載せて配信するのです。

 

OCCEDの様子もイギリス人のボランティアスタッフからどんどんわかってきました。子どもたちは全員無事だったものの建物破損により建物には入れなくなり、テント生活。

そしてOCCED JAPANでは募金箱を設置作戦が始まりました。地元の有志を始め、多くの方に多大なご協力をいただきました。

本当にお世話になりました。一体、どんな言葉で感謝の気持ちをお伝えすればいいのか、未だにわかりません。唯一、思いつくのはこれからも子どもたちを支えていくために活動を続けることです。

OCCEDのスタッフの献身的な行いも忘れることはできません。誰もが余震を恐れて動きたくなかったと思いますが、スタッフは家を離れてOCCEDに足を運びました。

町の中の助け合いも忘れられません。頼まれたわけでもないのに誰かが立ち上がり、皆が自分のできることをしました。携帯電話の会社も震災後まもなく充電機を町に設置しました。炊き出しが始まると皆、並んで順番が来るのを待ちました。なかなかそういう国はありません。

あれから2年。ネパールには落ち着きが訪れ、観光客も戻ってきています。でも復興にはまだまだ時間がかかります。悲しいことに日本にいても地震は起きる可能性は充分にあります。だったら躊躇せずに迷っている方はネパールに足を運んでみてはいかがでしょうか?それだけでも地元の力になることは地震国の日本人ならわかります。その際はお伴しますので、ぜひ。






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