**駄菓子屋まめぶんからのお知らせ**

ご来店前は営業日、臨時休業のご案内を ご確認お願いします
 
2023/11/16 12:32:11|その他
お問い合わせについて
再開店前の電話番号、メールアドレスはネット上に残っているものも含め現在使えなくなっています。

全て一人で対応しているので、お問い合わせは店頭かインスタグラムDMのみとなっております

インスタグラム
駄菓子屋まめぶんで検索の上、ご連絡お願いいたします

商品紹介やお店の様子なども発信しておりますのでご覧ください








2023/11/11 9:41:37|その他
駄菓子屋研究家土橋真さん
ガラス戸の開くチャイムがなったので
入り口に目を向けると
どこかで会ったことのあるような方が笑顔で立っていて

頭の中は「だ、誰だっけ??」

「土橋です」

(@ ̄□ ̄@;)!!
声も出ず数秒固まりました

人ってホントにびっくりする時は固まるんですね(@_@)

なんと駄菓子屋研究家の土橋真さん!

まめぶんの記事をブログに載せて頂いたことがあり、コロナ禍だったので
電話でのお話でしたが駄菓子トーク止まらず。
ですがお会いするのは初めてなので
「だ、誰だっけ??」になってしまいました(;>_<;)
申し訳ありません。

私用の通り道にまめぶんがあることを思い出してくださり
お立ち寄り頂いたということで感激!

ありがとうございます
ますますのご活躍を期待しております







2023/05/29 7:57:30|その他
先日のテレビ撮影について
当店を紹介する趣旨ではないので、SNSでのお知らせは出来ないことになっており、放送局、放送日時につきましては控えさせて頂きます

撮影インタビューにご協力くださいました皆様、入店をお待ち頂きました皆様

ご協力ありがとうございました

放送日時につきましては店頭でお伝えします

見逃し配信もあるようです







2023/05/28 6:04:52|その他
横浜の豆文商店跡地に立つ
先日、兄が横浜の豆文の跡地に行って来ました。
横浜の豆文も今では豆菓子屋ではないですが、豆文の看板で、名前を大切にしているのがよくわかります。
祖父の居た場所に立てたことがなんとも感慨深いと言っておりました。

ん?豆菓子屋?どういうこと?

前にもお話しましたが、豆文は駄菓子屋になってから方のが歴史が浅く
もともと祖父は横浜で豆菓子を製造する職人でした。
腕がよく、平塚に暖簾分けという形で豆文商店を創業したものの
戦争で若くして命を落としてしまいました。
豆菓子の製造ができない祖母が菓子、パン、食料を扱うお店として女手一つで営業を始め、
その後嫁に来た母がいなり寿司、かんぴょう巻き、太巻きなどを作り販売していました。
もちろん駄菓子もたくさん売ってましたが駄菓子よりそちらが主。
母の作るいなり寿司はとても好評で、今でもお客様から売って欲しいと言われます

母の病気で1度閉店し、
そして10年の時を経て駄菓子屋として再開店しました

おばあちゃんの頃からいた黒猫ちゃんと古い銭箱。今でも大切にしています

子供たちが「まめぶん」と呼んでくれる度、おじいちゃんおばあちゃんは喜んでくれているだろうかと思います

こればっかりは聞きたくても聞けないので…
私が出来るかぎりは
豆文商店を守っていきたいと思ってます!

その後は子供たちの記憶の中に豆文が引き継がれたらいいなぁと思います。

だから、次の跡継ぎはまめぶんに来てくれてる皆なんだよ!
思い出たくさんつくってよ!よろしくね♪







2023/02/17 7:55:26|その他
有難い(T_T)
春が来ると再開してから2年になります

いつも気にかけてくれている昔の子供たち、息子の同級生、私の同級生、御迷惑もおかけしている近隣の方々、応援してくれる前の職場の仲間、マルシェ、マーケットの知り合った方々、

仕入れを手伝ってくれる兄たち、なにかと顔を出してくれる兄の友達、
棚を作ってくれた主人、
家の中のことを手伝ってくれる母、駄菓子屋の母さんてカッコいいと言ってくれる息子たち、

たまたま通りかかってよってくださったお客様、
インスタで知って来てくださったお客様、
釣り帰りに寄ってくれる青年たち、遠くから来てくださる方々

そして主役である今の子供たちとその親御さんたち

「駄菓子屋たのしいです」
「頑張ってください」「長く続けてください」
と温かいことばもかけていただき、励みになって
おります

私が1人で頑張っても皆様の支えなくしてはやってこれませんでした

駄菓子屋まめぶんは皆様のおかげで出来ているんだと日々感じています

これからもどうぞよろしくお願いいたします