『母』 三浦綾子著 角川書店 平成四年三月単行本で刊行
これが、ご縁と言う事なのでしょうか。 友は友を呼ぶと言うことなのでしょうか。 考えているから考えてる方向に行きつくと言う事なのでしょうか。 思っていれば願いが叶うのは、そのせいでしょうか。 やはり理想は他人になんて言われようとも、持つって事なのでしょうね。
とにかくこの本に出会え、私の手元に届いた事は奇跡的で、貸してくれた方に感謝します。
母 とは、小林多喜二の母セキさんの事です。 セキさんが、多喜二の事を語りそれを三浦綾子さんが書いたようですね。
訛りのあるがままの文章なので、読み難いかと思いきや、これがまためちゃくちゃ読みやすいので…是非多くの人が読んでくれたらいいな~!って思います。
私が今まで勝手に思いこまされていたというか思い込んでいた暗く辛いばかりの多喜二のイメージとはまったく違っていて。 小林家は明るく温かく笑いのある優しさに満ち溢れていた、ごく普通の家庭だったんですね。
家族や親戚周りの人達も優しくて、多喜二は兄弟を思い、親を思い優しく穏やかで…、
ただ貧しかったけれど、もっと貧しい人達もいたようで、
『貧しいひと達を無くすような世の中にしたい』
と言う気持ちで、多喜二は小説をかいた。
『母さん、おれはねみんなが公平に仲良く暮らせる世の中を夢みて働いているんだ。小説を書いてるんだ。ストライキの手伝いをしてるんだ。恥ずかしい事は何ひとつしていないからね…。』> 『多喜二のこと信用しないで誰の事信用するべ』と言うと、
多喜二は『母さんは、いい母さんだ体はちんこいけど心のでっかい母さんだ』って真面目な顔でいってくれてな…。と母は語る。
またある時には、 『母さん、労働者はね。今よりほんの少し給料を上げて欲しいと言ってるだけだよ せめて子供達にあったかいおまんまを腹一杯食べさせたいと願っただけだよ労働者も人間だ働いたら働いただけのお陰のある生活をさせて欲しいと言うことが、そんなに悪いことだべか』 母は思う、 『昨日よりましな生活がくるなら結構な事だ…心のそこから嬉しい事と思った 同じ日本国民だべ貧乏人でも金持ちでも自分が旨いものたべてる時食べものがなくて すきっ腹に水呑んで寝るしかない人間がいる事思ったらあんまりうれしくはないわね』と語る母。
またある時… 『おれな、母さん、おれはいつのまにか ずいぶんと有名な小説家になったけど 内心びくびくしてるんだ。いろいろな事がわかれば解るほど 権力って恐ろしいものだと、背中がざわざわすることがある。これ見てくれ、おれのこの小説××がたくさん付いているだろう。これは金持ち側から言わせると 書いて欲しくない言葉が並んでいるからだよ。今の時代××の多い小説ほどいい小説だっていう証拠なんだがねぇ。こないだは、おれの小説の『蟹工船』が東京の帝劇で大評判をとった。けどな評判立てば立つ程 尾行が厳しくなって もう小説書くのどうしようかと思うことがある。でもな母さん、世の中っていうのは、一時だって同じままでいることはないんだよ。世の中は必ずかわっていくもんだ。悪く変わるか 良く変わるかは わからんけど、変わるもんだよ母さん。そう思うとおれは、良く変わるようにと思って、体張ってでも 小説かかにゃあと思うんだ』 と…言う多喜二…。
その小説が売れると、当時の警察、特高に追われるようになるのですが、何度も捕まり、知っての通り、当時の警察に拷問の揚句殺されてしまいました。
裁判を受け死刑になるのではなく!
いわゆる政治犯????意見が違うと言って、何の罪もなく拷問の上多喜二は警察に殺されたのです。
(多喜二は小説家です。・・・が、…それでも訳のわからない罪ですね!)
また、多喜二のひたむきで、けなげな熱い思いを考えると、胸が熱くなる思いと共に、目から熱いものが込み上げてきて、抑えようと思うほどに胸の中で膨れあがり今度はしゃくりあげるように、やっぱり泣くしかなくなってしまいました。 (涙って、心と体が繋がってる事が一番よく解る現象だな(+_+)なんて思います。・・・が、涙って何だろうって・・・考えてしまいました。)
当時の医者は国家(国家って何だろう?!)の圧力が恐くて解剖もしてくれる医者はなく、死因は心臓麻痺にされてしまいます。 母は、泳ぎの上手な多喜二が、心臓麻痺なんて事は考えられないと言います。
太股は千枚通しで突かれた無数の傷。 足は紫色に二倍に膨れあがり、首には何かで締められた跡…。 これが、当時の警察の仕業です。
後に、この時係わった警察の一人は狂い死にしたそうですが。 その警察の気持ちもわかる気がします。
だって多喜二の信念にくらべたら自分は何をしてるんだろうと思わないわけにはいかなかったろうとも思いますもの。
…変わり果てた息子の姿。 …。 神も仏もあるものか!と母は思ったそうです。 神がいるならこんな殺し方はしない。…と。 しかし多喜二も姉も義兄も多喜二の学費を出してくれた叔父さんもキリスト教や仏教には、拘わり合いがあったりして…のちにセキさんもキリスト教に傾倒して行くのですが…入信はしないんですね~。
しかし母セキさんの凄いところは、… こんな状況に立たされながら、思い直すんです。 私は私だけの気持ちだけになっていた…私は、多喜二だけの母じゃなかった。辛かったのは、私だけでなく、他の兄弟達だってきっと辛かったに違いないはず、多喜二の兄弟だなんて言えなかっただろうし。 それなのに、一度だってあの子達は多喜二を悪く言う兄弟もなく、皆、多喜二が好きだった。と、語る母。 (それはそうだ 私だって、多喜二がすきだよ。お母さん。こんな優しい人をなぜ同じ仲間の人間が殺しちゃうのよ?!なんなのよ…?!)
また 多喜二が取材に行った先の遊郭紛いのそば屋と言われるところに貧乏故に親兄弟の為にやむなく売られたタミちゃんの話しなどは、ものすごいです。
お母さんといい兄弟達といい多喜二と言う生き様自体が崇高な芸術作品としか言いようのないような、人間としての精神の美しさ。 感動するしかありませんでした。 (今時の言い方をすれば、『カミだね』です。)
タミちゃんを救いたくて、身受けする事になって・・・ 母セキさんに相談する多喜二。
身受けするのに五百円もの大金が必要だが、銀行で働く多喜二の給料は72円か92円ボーナスは200円で300円はだせるが出してもいいかな?!と相談する多喜二だが、それでも200円足りない。これを貸してくれた島田先輩がいたり。(のちに…多喜二が死んでしまったので二百円もの大金を返さずじまいだったらしいが、またこの島田さんも、『いやいや』と手を振るだけで一度も返してくれとは口にしなかったと言う。)
・・・・
『早くタミちゃんを苦界からすくってやったらいい』と言う母。
『母さん』としがみつき多喜二は、おんおん泣いたと言う。
また兄弟に話すと、皆
『いいところさ 金ば遣う』 とやっぱりなみだこぼして喜んだと言う。兄弟姉妹
優しい家族。
また親も兄弟達も皆多喜二のすることは間違いないと信じていた。 (私だって…、そりゃ~信じるよ。多喜二のやることだもの。…とついついつぶやいてしまう。)
それから多喜二は、こうも母に言うですよね…
『だって母さん。おれはタミちゃんを苦界から救い出したいだけなんだ。ここですぐにおれの嫁さんになってくれと言えば、おれの金で救い出されたタミちゃんは、断るにも断れん』
母『好きなら遠慮しないで嫁さんにしたらいいべさ』
多喜二『男と女は互いに自由でなければならないんだ。自由な身で付き合ってそれで結婚する気になったら結婚すればいい。とにかく今のタミちゃんに結婚を申し込むのは金で女を買うのとおんなじ事になる。おれはそうはしたくないんだよ。わかるだろ、母さん』なんて言う。(ノ_・。)
三浦綾子さんは初めセキさんが受洗してると思って『母』を書く気になったと書いているが、実は洗礼など受けてなくて、入ったのは、セキさん最晩年に共産党に入党しただけだったのだ。
皆になんで入党したんだと、よく聞かれたらしいが、 理由は定かにしていないのが、明るく優しい家庭を作った多喜二の母セキさんらしい気もする。
セキさんいわく… 右翼にしろ、共産党にしろ、キリスト教にしろ、心の根っこの所はやさしいんだよね。誰だって、隣の人とは仲良く付き合っていきたいんだよね。…………そりゃあ人間だから、悪い事も考えるべさ。あるときは人は怒鳴りたくもなるべさ。でも本当は、誰とでも仲良くしたいのが人間だよね。それだのに、人間は、その仲良くしたいと思う通りには生きられんのね。ちょっとの事で仲たがいしたり、ぶんなぐったり、後から後悔するような事ばかりして、生きていくのが人間なのね。…。
セキさんは、87歳で亡くなった・・・年に私は生まれました。 父は2月22日に亡くなったけれど 多喜二は、2月20日に亡くなってしまった。 2月は寒いけど…多喜二祭があるなら…行ってみようかな~。
セキさんにも逢いたいな~。
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